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Cosmo Corpus @ Nippon Connection  1.

6/7/2026

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6/3と6/6の上映があっという間に無事終了し、明日フランクフルトを離れる。
前回のニッポンコネクションの時、知り合った方がいて、その方が毎年、今年はニッポンコネクションに来ないの?こんな作品が来ていたよ、とメールをくれていたので、私の中でまた行きたいと簡単に言える思えるほど、映画制作は近いものではなかったけれど、でも自然に思い出に残っていた映画祭と街だった。

今回は主に担当してくださったNoahさんやAlinaさんを始めとして、Juliaさん、Maxiさん、Andreasさんなどにとても詳しくアテンドしていただいて、前回以上にドイツの皆の出身地のお話や、フランクフルトのお店など(会場近くのベルガー通りのカフェストリートやドイツの伝統料理など)ローカルなことを聞けた。


10年ぶりに同じ街を訪れて、前回はそう考えた覚えがなぜかないけど、フランクフルトは綺麗な街だなーと散歩しながら思った。まず木が巨大で、鳥の声がとても美しい!でも日本の山に登ったことのあるMaxiさんは逆に、自然の組み合わせなどが見たことがなくて面白かったと言っていた。(シダやその近くにある木々など)
​映画祭にくると語学の天才に頻繁に会うけれど、3日に司会をしてくださったMaxiさんは28ヶ国語に手をつけていて、何を書いているのかなと思ったら、色んな文字で私の名前を書いてプレゼントしてくださった。Juliaさんもルーツのベトナム語より日本語の方が得意だが、日本で勉強をしたことはなく、全部ドイツでの独学だったり、通訳のMariaさんは12歳から趣味で日本語を始めていたり...。

ここ10年くらい、マリーとの仕事が終わった2020くらいから、ローカル志向になったこともあり、英語の勉強はもうしないでいいかな... というか、なんでしなければいけないんだくらいに(英語が母国語の方は必要ないので)思っていたけど、自分が考えている映画の企画をもしこれから続けるならば語学が必須なことなのはわかっていて、それ以上に近くで語学自体を楽しんでいる若き天才たちを見たり、英語で色々聞いてもらえると、とてもポジティブな気持ちになった。(でも本当にびっくりするほど話せなくなっていた笑)


Eric NyariさんのFilmmaker's workshopなどで実際に国際共同制作のお話を聞いたり、なんといつの間にか筋金入りの映画製作者になっていた、マリー・ブラッサール氏のプロジェクトの時に役者で参加されていた香子さんの映画祭を回ったお話を聞いたりして、まだせっかく生きているならば、もう一歩くらい、踏み込んで努力をしたい気持ちも湧き上がってきた。(映画業界に入るとかとは全く別の形で)

勉強。ただ多分、「仕事で使うから」だと自分の性格上面倒で諦めるので、何か全然違う報酬を発明しないとなと思っている。たとえば英語で小説を書いてみるなど...?楽器と一緒に歌える英語の曲を増やす...。
Maxiさんは、おばあちゃんの日記の古い文字や、ポストカードが読みたくて、文字の勉強も始めたらしい。


10年ぶりの大聖堂。撮っていて、前にも来たことを思い出した
The cathedral after 10 years. I remembered I have visited before during shooting here.

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ブレイキン

5/29/2026

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​我が人生で初めて出来た、推し、ダンサーのYasminさん
初めて興味を持ったアスリートの方でもあるけど、ブレイキンはスポーツ的な部分以外もとても豊かで、その表現力とかコミュニケーション力、キャラクター性(それぞれのダンサーの個性)に惹かれるものがある。
この時のFinal含む三つの動画全部すごい好きなのだけど、別アングルのカメラでも見てみたい。
優雅すぎる。自分のターンじゃない時や試合終わった後に踊っているのも同じくらい見ていて面白い。
←こんな風に誰かとコミュニケーションとってみたい。すごくワイルドでもあり、愛を感じる。MiMzさんもめちゃくちゃカッコいい。
←Narumiさんもとてもかっこよくて、音楽も鬼気迫っているので、このバトルよく見てしまう
スージーアンドザバンシーズの曲がかかって踊っているのがカッコいい
2025年にRedbullを観に行った時に、登場した瞬間、他の人たちと全然違う、あんまり見たことがない、リラックスした遊び心のある大きな存在感があって、それらが全部クールで、すごい人いるなと思った。
でも他の出場者の方たちもみんな個性や得意な動きが数多くあって、悪役っぽいというか、キャラクターっぽい表情とかもあり、頭で考えるよりは、やっぱり一人一人の体とか性格の特徴から来る個性なんだろうか。男女の体力差とかを考えると意外だったけど、個人的にbgirlのバトルの方が記憶に残っている....。(bboyでもTsukkiさんは過剰なパワフルさと美しさがあって、牛若丸ってこういう感じだったのかなと思わせるところがあり、気になった。完全に個人的な感想...)
← みんなが盛り上がるのが面白い。これから聴こえるはずの音にダンスを合わせるのを、本当にどうやっているのかわからない。

ブレイキン自体すごく面白いけど、Yasminさんを知ったことで、関心が一過性にならず、少しずつ知ることが増えてきた(ダンサーの方とか技など..)。自分にとって、体にも心にも魂にも刺さってくる感じがする

ただ、自分の場合、どうしても、映画にしたらどうなるのかみたいな発想が出てきて、​
体の動きだけでダイナミックなものを流れとして伝えているから、編集とかは出来ないはずではあるが、カットを沢山作ってアクション映画のようにするのが一番正当なのだろうか。
観ている方としては、踊っている人のサイズだともう一人のアクションや、ジェスチャーが見えないので(これがブレイキンの中で個人的にとても好きなので)、プレーンに撮ってる映像がいくつか別のカメラのアングルやサイズであるのが一番ありがたい。
​
でもやはり、映画的に体に対して出来ることを極めるとしたら、ダンサーインザダーク方式(100台のカメラ)なのかな... 長回し.. スロウモーション... なにか斬新な映像...
あるいは劇中劇でドキュメンタリーとして撮る...(その場合でもカメラ数の問題出てきそうだけど...)
100台のカメラで1分の一つのダンスを撮ったら、100分の素材ができて、なんかそういう風な再構成するようなことも面白そうだけど、ブレイキンやダンス自体とはやはり全然違うものにはなってしまう。
クレンズドで映像化をサラ・ケインが禁じていることに対し、どう答えるかという部分とも繋がってきそう。映画なら映画ならではの肉体的な方法が必要だろうと思う。
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『コスモ・コルプス』『イリュミナシオン』シアターイメージフォーラムにてアンコール上映(+近況)

5/28/2026

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取り急ぎですが、アンコール上映が決定しました。
ぜひこの機会に観ていただけたら嬉しいです。

近況:
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予告篇と、大木監督について
これまで映画を劇場公開したことがなかったので、今回、映画上映前によく流れる予告篇を、初めて上映してもらうことができた。
しかも前もってチケットを買っていた、大木裕之監督の特集、『優勝・renaissance』の前だった。 
大木監督とは実は、2011年の前はイベントに呼んでいただいたり、高知に行ったこともあった。初めて会ったのは20歳くらいの時で、イベントの手伝いに行ったらカメラを持った大木さんがいて、とても嬉しかった。

その間の長い期間どういう関係の仕方をしていたのか覚えていないのだが、そこで連絡先を交換したのか?たまにメールとかもしたり、今パッと思い出したのは、新宿三丁目を夜歩いてる時に突然電話が来て、何か用事かと思ったらなんでもなく、元気かどうかみたいな、それだったらいいのよ、+α、みたいな感じだったような。。
昼間にどこかの路端に座ってる大木さんに会って、私の着ていたTシャツに書かれている文字を
目を細めて読んで、「Larry... Clarke... Photography?」と笑われたり、
あと何日か前に歩いていてふと思い出したのだが、私が「シンクロニシティですね」と何かの拍子に言ったら、「それはキホンでしょ。」と言われたことがあったなぁと。
また、私が自分の名前の由来について話したんだったか、中上健二は、古い、だったか... 微妙なニュアンスを思い出せないのだけど、否定的なことを言われた。でもこないだ玲児さんが教えてくれたのは、大木監督は最近はフォークナーのことばかり話していたと...。ものすごく意外な感じもするけれど、どの辺だったのだろうかとても気になる。フォークナーについては私なりに話せることもあるし、意見を聞いてみたかった。
追悼上映で大木監督の近作と昔の映画をいくつか観て、こんなこと考えていたんだなと、共通点に気づいた。これからも映画がある、とも思い、自分が死んだ後、生きてる人にそう完全に思わせる作品て作れていないなと思った。(コスモ・コルプスは少し出来たかもしれなかったので、大木監督に観て欲しかった)

『優勝・renaissance』の、浜辺のシーン。多様性とかそういうレベルではなくものすごく色々な人が同じ空間にいた。音楽と共に急にダンスが始まる。このダンスの時に笑ってしまった。あまりにも大木さんのリズムだった。作品、というより、自然そのもののようなフィルムの光の色の凄まじい美しさ。今でも残像が残っている。一方大木監督はそのアドバンテージを捨ててビデオに行った。最近の作品の中の「Lust for earth」という言葉。(to か towardみたいな意味で記憶しているのでforじゃなかったかも...)
憧れのバンドとの夢の対バンのようにして、初めての劇場予告篇が流れた後、大木監督の映画が始まった。もちろんシンクロニシティは基本なのだろうけれど、それでもやはり、不思議な感覚だった。


映画の上映中は、毎日ご挨拶していて、本番の数時間前から心拍数が尋常じゃなく上がっていて、健康的に大丈夫かと思っていたが、今になってみると、色々な方とお話しできて、久しぶりの再会もできて、山井隆介くんは勿論のこと、途中司会で登板してくださった山田遼さんや鮎川純子ちゃん、三村修さん、ヴィヴィアンさんを紹介してくださったheykazmaさんなど、みんなすごく協力してくれて、ありがたかったし楽しかった。

ゲストにお呼びした方々とは、本番以外に毎回1時間くらい打ち合わせで話していて、それがまた感動的というか、スピリチュアルですらあった。ゲストトークて普通、こんな深い体験なのだろうか。今後にも間違いなく繋がってくるので、そのうちまとめたいと思う。知り合えたのがとても嬉しい人たちばかりで、あまりこういう気持ちになることはないのだけど、これからも離したくない。

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映画祭と、ブリストル(ダブ)

数日後からフランクフルトの映画祭で、10年かかって同じ場所へ行くのがやはり不思議な感じがする。しかも、応募ではなく、twitterでexperimental roomsの星野さんが映画のことを書いてくれたのがきっかけで、映画祭から連絡をいただいたのだった。
前回はホームステイで女性の家に滞在させてもらえ、ドイツ式の朝食を作ってお話してくれたり、アットホームだった。海外の日本映画祭で、みんな日本の文化に興味があるようだった。ビジネスライクというより本当に友人が何人か出来るような感じ。

なかなか行けなそうなので、映画祭の後、一人でブリストルへ行こうと思っている。今、次の映画のことを考え始めているのだけど、ダブが必要だと感じている。
映画館の音響について今回すごくパワフルだなと思ったし、エンジェル・ダストの音楽がやはり物凄く痺れたので、次の映画はダブを映画音楽にしたいなと...。真弓さんのご紹介で、riddim chango recordsのヒロシさんにブリストルについて伺って、色々な場所を教えていただけた。
teaching in dubというイベントがトリニティセンターというところで不定期でやっていて、調べてみたら、ちょうど行ける!Jah Tubbys出演。
ブリストルは、マッシブアタックというより、Young Echoというコレクティブがとても好きで、こんな人たちが集まるのはどんな所なのだろうととても気になっていた。

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次の作品

書き終わらせたい小説が一つあり、それとは別に、映画で撮りたいものがある。
一つは、前から何度か書いている、サラ・ケインのクレンズドを起点にした映画。もう一つはいくつか必要事項がありそうだけど、南総里見八犬伝みたいな子供も楽しめるような話(表は帝都物語とか幻魔大戦とかX、ブレードランナー、小説の方の電気羊とかそう言った都市のイメージもあるSFアクションで結構本質的な部分もある映画)



ギター、いつかはちゃんとしたものを買いたいと思っていた矢先、遼さんにお古のグレッチをいただいた..。物凄く可愛い。ケースから出す時に間違って弦が触れて音が鳴ってしまって、それだけでもとっても綺麗な音で全然違うので驚いた。Pixiesとか弾きたくなって、練習している。
この映像を観て、キム・ディールってセクシーな人だなぁと思った。表情に一々深みがあって、感情を動かされる。笑った後に真剣な顔をしたり、ドラマを感じる。そしてベースが本当にグッとくる。
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みなさんからいただいた、『コスモ・コルプス』応援コメント

4/22/2026

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映画『コスモ・コルプス』に影響を与えてくださった方、昔から映画についての文通をしていた、元は私が彼彼女らの作品のイチファンだった友人。何かその人に、観て欲しかった人。

決して短くはない映画に、お忙しい中、時間をとってくださり、しばらく会ってなくても、それぞれの雰囲気が伝わってくる言葉までもらえて、嬉しかったです。
​本当にありがとうございました。
​
応援コメントって、今日日、権威的で宣伝的な感じもし、どうかなとも思ったのですが、頼み始め、受け取り始めてみたら、少なくとも私の場合は、そう言う単純なことではなかった。書いてもらった言葉が、自分に循環するのを感じた。書くことを選んでくれた方には、とにかく感謝しかない。欲を言えば、もう一人書いて欲しい方がいたけど、いつか観ていただけたらと思う。
落ち着いたらWebサイトなどにもアーカイブとして掲載できたらと思っております。


Aru-2 (ビートメイカー/プロデューサー)



Cosmo Corpusを見て、分かることと分からないことどちらも混在しあっている映画でそれがなんとなく心地良いという今までにない不思議な魅力を感じた。 もし全部が分かってしまったらそれは退屈に違いないわけで、分断された少数派の人々に対してどこまで寄り添えるか自分自身に問いたくなったりした。 孤独と生きること、他者と暮らすこと、昔も今も未来も時代や環境が変わっても人間が生きていく事の根っこはあまり変わらないのかもしれない。 大事な人に会える日々を大切に過ごすこと、挨拶できることの幸せを忘れずにいたい。


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斉藤綾子 (映画研究者)


「2022年にあって2万年後にないかもしれないもの」「本、特に紙の本、身体、性別、こんなふうにいろいろなものがある地球、呼吸、誰かとの帰り道、言葉、感情、戦争、愛、挨拶」


呪文のようにどこからともなく聞こえてくる声。激しい波の音と壮大な海と砂浜。ただ一人、地球で最後の人間となった死者を埋葬し続ける兵士。そこに突然降り立った地球を覚える未来の少女。人間の記憶はどこへ行くのか。死者の記憶は過去へ封印されたまま、メビウスの輪の中で永遠に回り続けるのか。いや、それとも宇宙の粒子となって、わたしたちの回りに存在し、気付かないまま死者と交流し続けるのか。


海が飲み込んできた無数の生命体は過去、現在、未来という地球的時間を超えて、宇宙的時空間を介在させているのか。それとも汚染された海の毒は生き残った生命体を破壊するのか。


冒頭から映像と音の強度に画面から目が離せない。どこへ行くのか。戸惑いながら必死に画面を見つめる。「宇宙的孤独共同体 コスモ・コルプス」と名づけられた長谷川が描く世界は、映像の前衛と写実が水のイメージとして結晶化し、生と死の境界を無効化する。サイエンス・フィクションとは常に現実の陰画として、「今、ここ」と「いつか、どこかで」の間を行き来する。その圧倒的な映像と音が作り出す世界を作り出しながら、長谷川は生命体の孤独と向き合う。その想像力を支えるのは佐渡島の存在だ。いや、このように言い換えても良いだろう。佐渡に渡った作家がカメラのファインダーを通して見つめる島の歴史や記憶に向き合い、書き換えていく。宇宙的孤独共同体とはその作業のドキュメントではないのか。


現代編で父を失ったカイチはその名前の通りに、海を知り、失われた父の記憶を探すことができるのか。カイチの母ユキは日々の生活と宗教に救いを見いだせるのか。過去作では前景化することがなかった宗教という新しいテーマに作家が込める想いは何なのか(だが、SFと宗教が近しい関係にあることをわたしたちは知っている)。


わたしたちは二万年後に何を、誰に遺すことができるのか。答はない。だが、長谷川が託した祈りにも似た小さな声をわたしたちは聞き続けていく。


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高水裕一 (物理学者)


長い長い時間の流れというのは、人の残した痕跡や文明そのものも洗い流してしまう。ときにそれは無常に近い、人類には抗えない非情さがある。本作品が描く壮大な時間スケールにもどこか、それがただよう。そんな荒波に抗うように、人は過去に戻りたい、あの人に会いたいと時間の波への抵抗を試みる。そこには純粋で削ぎ落とされた、人類の愛の姿が永遠に残る。


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Tabitha Nikolai(アーティスト)


『コスモ・コルプス』は、あえて多くを語らない美学に基づいた構造を通して、孤独の根源とその救済について深く思索を巡らせています。魅力的かつ複雑に絡み合う物語のループを紐解いていくと、家族や友人に囲まれていながら孤独を感じている人たちや、言葉も信仰も共有していない、お互いに知らないはずの存在の間にコミュニティを見出す人たちに出会います。また、たとえ愛する人と同じものを求めていたとしても、「渇望」という感情が、時に私たちをいかに痛切でバラバラな方向へと引き裂いてしまうのかを、本作は描き出します。


本作は実に時宜にかなった作品です。それは、私たちが現代特有の凄まじい孤立感や、より広範な政治的疎外感に直面しているからというだけではありません。孤独、渇望、あるいは繋がりといった円環の、どの地点に私たちがいたとしても、この映画は語りかけてくるものがあるからです。日々、私たちが経験することは退屈で、それでいて束の間であり、過ぎ去った後もなお、その不在が亡霊のように付きまとう—そんな、癒やしであり毒でもある感覚について、本作は深く突きつけてくるのです。


佐渡島の海岸で撮影されたその舞台設定は、曖昧な時の揺らぎを映し出しています。かつて過去に固定されていたはずのものは今や水没し、手が届きません。しかし潮が引けば、それらは再び姿を現します。ただし、そこにはフジツボや漂着物がこびりつき、どこか不気味で不可解な様相を呈しているのです。


劇中の奇妙な時間軸を司る正確な仕組みが、最後まで明かされないのも実にふさわしい演出です。それはハイテクな時空旅行のようでもあり、業(カルマ)の輪廻や、キリスト教的な復活の物語をも彷彿とさせます。あるいは、元理科教師によるフォークソングの放送というような、古風で不可解な実験の産物なのかもしれません。こうした多様な可能性の広がりとリズムは、長谷川億名監督の哲学的な懐の深さと、社会の瓦礫の中から魔法を生み出す創造的な独創性を如実に物語っています。


もしあなたが『ラ・ジェテ』、『天使のたまご』、『ストーカー』、『沈んだ世界』、あるいは『ヨコハマ買い出し紀行』といった作品を愛しているなら、この『コスモ・コルプス』の中にも、きっと心に深く刺さる何かを見つけることができるでしょう。


Through an ambiguous elliptical structure Cosmo Corpus ruminates on the source and remedies of loneliness. As we attempt to untangle its fascinating and intricate narrative loops we meet characters who feel alone even when surrounded by friends and family, and those who find community among strangers despite lack of language or shared belief. We see how longing, even when longing for the same things as those we love, can pull us in painfully different directions. This film is timely, not only as we grapple with a contemporary wave of tremendous isolation and broader political alienation, but because it has something to say to us in whatever moment we are personally in on the cycle of loneliness, longing, or connection—the combined balm and poison that what we are experiencing is both tedious, and brief, gone, but in the absence haunting. Shot along the coast of Sado island, the setting mirrors the murky blur of time, where what seemed fixed in the past is now submerged, and inaccessible, at least until the tide reveals it anew, but uncanny, glazed with barnacles and detritus. Appropriately, the exact mechanisms of weird temporality in the film are never fully revealed. They could be part high-tech time or space travel, part karma cycle, part Christian resurrection story, or the product of a former science teacher’s arcane experiments in broadcasting folk music. The range and rhythm of these potentialities bespeaks Yokna Hasegawa’s philosophical breadth and the depth of her creative inventiveness in making magic amidst society’s rubble.


If you enjoyed La Jetee, Tenshi no Tamago, Stalker, the Drowned World, or Yokohama Kaidashi Kikou you will almost certainly find something to love in Cosmo Corpus.


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Barry Doupé (アーティスト/映像作家)


最初にあらすじを読んだ時は、SF映画だと思っていました。しかし実際に鑑賞してみると、この作品は「惑星探索」という器(設定)を借りて、主要なテーマである「置き去りにされること」、そして身近な人を失うことで家族が崩壊していくという、極めて個人的な痛みを深く探求しているのだと感じるようになりました。


このように「喪失との対峙」という個人の体験に焦点を置くことで、地球を失うことや人間性の喪失という壮大なテーマとのパラレル(相似性)を、より容易に理解できるようになっています。観客としての私に自律的な思考を促すような、揺るぎない精神をこの作品に感じました。


ゆったりとした独特のテンポが「感情の真空状態」を生み出し、その静寂の中で、父の失踪後にひとりの青年が背負わされた、義務感や家父長制の重みを感じ取ることができます。劇中で、好奇心に導かれるようにして出会い、大切にされる本や文学、そして言葉。それらはまるで私たちの自己の深層へと至る「秘密のコード(暗号)」を内包しているかのようです。そしてそれは、たとえ地球が喪失の痛みで疲弊しきったとしても決して壊すことのできないものなのです。


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細倉真弓 (写真家)
1番近くの人を思い出すように、まだ会ったことのない遠い宇宙の生命体を思うことができる。そんな想像力を持ちたいと思えました。

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近況

4/21/2026

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最近は、春というより初夏のようになってきて、毎週のように東京でチラシ配りをしたり、文芸部の集まりに行ったり、もうすぐしばらく会えなくなりそうな真弓さんとメンツが変わりつつ何回も会ったり、SFの大会(はるこん)に初めてお邪魔してみたり、本当にしばらくぶりの友人のお店へお邪魔したり、一方で去年からの治療で病院へ行ったり、新しく知り合った方もたくさんいて、いろんな人と話して、場所も言葉の記憶もごっちゃになりつつ、とにかく動いていると言う感じであった。

最近はアーティストの斎藤玲児さんのご厚意で、はじめは映画の宣伝に、というのがメインだったけれど、学校での課外授業も連続でさせていただけることになり、どうやったら十代の方(たち)が、一人一人が平等に、エキサイティングでパーソナルに、私も含めて映画制作を楽しめるのかについて、思いを巡らせていました。
石原海ちゃんのご紹介で、アーティストの三野綾子さんとさせていただいた対話が複層的にきっかけになり、久々に瞑想10分くらいしてみたら効果があったのか、プロの先生である
玲児さんのサポートもあり、やっと何をやるかについて目処がつき、ここ最近インスタグラムに情報を集約していたので、久しぶりにブログも更新したいと開いてみた。
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細倉真弓×長谷川億名映画『コスモ・コルプス』公開記念インスタライブ@flotsam books

4/1/2026

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写真家の細倉真弓さんとの、代田橋の本屋さん、フロットサムブックスでの映画公開記念、インスタライブ。
まゆみさんと友達になったのは2016年頃?
写真家コレクティブのSpace Cadetの鈴木さんにJJJ君のライブに連れて行ってもらって、紹介してもらいました。
2019年からコロナをはさみ、ずっと定期的に、会話やグループ展、読書会と続けてきて、いまは文芸部サークルで小説に挑戦しようとしています。
その中でもまゆみさんは、さまざまな領域の回路を経た経験をまた写真に接続しようとしていて、そのストイックさと面白さ、試行錯誤してる様子に、希望を与えていただいてます。
いつも惜しみなくご協力していただいて、本当に、なんといったらいいかわからないですが・・、
フロットサムの小林さんのおかげもあって、とても楽しく話せて良かったです
https://www.instagram.com/reel/DWfsoI-kqFj/?igsh=MW94b2pya3IzejJnaw==

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Cosmo Corpus Progress 0321

3/22/2026

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Japanese independent Sci Fi film, Cosmo Corpus Instagram

5/2(土)〜15(金)まで、イメージフォーラムで上映させていただく
映画『コスモ・コルプス』のショート動画です。

https://www.instagram.com/reel/DWJNlLhEme_/?utm_source=ig_web_copy_link​
​埋め込みがブログに上手く出来なかったので、URLですが、ぜひ見ていただけたら嬉しいです。

映画の主題歌をNozomu Matsumotoさん(劇中音楽も担当)と作ってくださった、
アーティスト、シンガーソングライターのCuusheさんにお願いして、
『Waken』というCuusheさんの2020年のアルバムから、”Beautiful”という名前の通り美しくて切ない楽曲をお借りしました🧬
また、山井隆介君が編集をしてくれています。


私はCuusheさんの大ファンで、十年以上、繰り返し聴いてしまっているので、かなり様々な影響を受けていると自分で思います。
稀有な声、大胆でクールな(日本人離れした、と自分では感じる)リズムとフレージングというのか、歌い方、繊細で内省的なメロディ、軽やかでくちずさんでしまうけれどどこか圧倒的な、孤独の楽しみや優しさも哀しみもある詞、音楽を通して、生きている中で、ほとんど気づくことのない感情にいつもさせてもらっています。Cuusheさんの楽曲はいまだに私の中で謎の部分が凄く多いなと思います。

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映像に関しては、いまだに、SNSの真髄とか流儀、スタイルみたいなものがわからないままでいるのですが、
今回山井君が作ってくれた上下二画面の縦動画を見て、
何でも良いわけじゃなくて、独特な文法があるのだということは感じました。それが出来始めているので、試行錯誤をする。

いまいずみちよさん演じる千夏のシーンで、奥行きの方へ移動する縦移動と、セイタカアワダチソウの横移動の組み合わせはわかりやすい空間的な面白さがありますが、他の一見関係ないシーンも、上下でカット繋ぎが出来るものがあり、でもそれはもちろんシーンになろうとする繋ぎではなくて、なにか別のものでつながっている。

ブライアン・デ・パルマが凄く好きなので、スプリット画面もそのうち無駄にやってみたいのですが、やはり映画だと横位置の複数画面で、何か場所が違うところで同時に起きてるサスペンス性みたいなものが出てくる。縦だとそれが違う気がして、でもエモーショナルなのは何故なのだろう。神の視点の亜種みたいなことなんだろうか。

今日はイリュミナシオンを久しぶりに通して観ました。
今回昔のHDDを見返す機会があり、一部また編集して、4Kにアップスケールしました。
気づくことは多かった。今回はみんなの繊細さ...というか、私が繊細なものが好きだからそこばかりフォーカスしているのだとは思うのですが、かなり時間が経っていることもあり、なおさらに、繊細さに、眼差しや、瞳の中の小さな光に、胸を打たれた。

映画|コスモ・コルプス Cosmo Corpus

https://yoknahasegawa.com/cosmocorpus
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『コスモ・コルプス』上映のお知らせ

2/16/2026

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5/2(土)〜5/15(金)シアター・イメージ・フォーラム(渋谷)で、
映画『コスモ・コルプス』が劇場公開出来ることになりました。
同時期に、2014年作の『イリュミナシオン』も上映いたします。
『コスモ・コルプス』Webサイト

https://yoknahasegawa.com/cosmocorpus​
Instagram
https://www.instagram.com/cosmo_corpus/​
twitterも一応作りました🙏
https://x.com/cosmo_corpus



配給も自主配給で、自分たちで行うことにしました。
フライヤーデザインは山井君で、見開きで二つの作品が見られる形になっています。めちゃくちゃいいね!や、美しい、というご感想もいただいていて、ぜひ見つけたら手に取ってみてもらえたら嬉しいです。
現在、フライヤーは都内の映画館で置かせてもらっている他、後で他のお店についても、まとめたいと思っています。
また、多く作ったので、もし置かせてもらえそうな場所などありましたら、持っていきます!

あとたまに、フライヤーをネットとかで売っている人がいますが、欲しい方は、沢山持っていてタダですので、私の方にぜひ連絡ください。笑


ー配給についてー
以前の映画の関連のどこかで、映画制作者の先輩の方に、「個人だと劇場公開できない」というような話を聞いたことがあったり、配給会社を名乗る人に、映画制作と同じくらいの値段で全国公開の話を持ちかけられたりして、(後で別の方に聞いたら額についてまぁそんなもんですとフラットな感じで教えてもらったので、自分の中でリファレンスが出来たのですが、詐欺がいるという話も聞く)知らない業界の人と関わりたくもなくなり、
だいぶ"配給"というものがネックになっていました。


配給・宣伝とはなんなのか、配給会社が名前を貸していないと産業外の人は入れないルールがあるのか、それとも頑張れば自分で出来そうなことなのか、すらまずわからなかった状況があったのですが、関口さんのご紹介で、
ウルリケ・オッティンガーなど重要作品の配給をされている、プンクテのことを知り、
植田さんに質問をさせていただいたところ、本当に基本的なところから教えていただけて、
個人事業主でも大丈夫、配給は本質的には宣伝である、という、知りたかった物凄く明快なことがわかり、
それだったら山井君と共同で、自主配給をする方向で頑張ろう、ということになりました。
(こちらのインタビュー、仕事のお話を聞ける面白さもあり、ニッチな部分でもすごく参考になります。
https://hanako.tokyo/culture/478828/ )

上記のこと以外にも色々あったので、劇場公開は今回が初めてになります。
これまで映画や美術の学校にも行かず、本当に完全に独学で映画を作ってきているので、もうこのまま何処までも行こうという感じに最近はなってきていて、この映画では名実ともにプロデューサーもやり、それに追加して配給のことがわかれば、出口がわかり、観てくださる方
についても自然ともっと考え、直に関わり、お金ついて考え、社会の歯車の一つとしての映画というものについても考え...、良いような感じがしています。次回の機会があれば、優秀な方に頼みたい感じもしますが...。

とてもありがたいことに、配給といっても一人ではなく、イメージフォーラムの武川さんにも、とても勉強になる、率直で丁寧なアドバイスをいただいて進められています。



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先週は東京も物凄く寒い中、フライヤーの相談をした山田リョウさんに教えていただいて、連日とても面白いイベントに行ってきました。特に阿佐ヶ谷Tabasaで行われていた、リョウさん出演の地無し尺八のレクチャー+三人の奏者の実演。
最後のリョウさんのレクチャーの中で、タルコフスキーのサクリファイスのクライマックスのシーンが映され、日本人の尺八奏者・海童道宗祖のテープが使われている、というお話を聞きました。ライブハウスの音響とスクリーンでタルコフスキーの映画の一部分だけを久しぶりに観たことは、インパクトと物凄い解像度があって、その後興奮して新宿のサムライという沢山招き猫のいるバーに行って、次なら撮れる映画、ショットについてずっと話していました。


岩佐又兵衛の戦国時代の絵。地無し尺八は虚無僧が吹いているものですが、一般的な調整された(プロダクト的な)尺八と全然違って、ノイズ、倍音がすごい(これは、西洋音楽が今は主流なのでメロディが大事だが、ドローンが大事、ドローンである曲を認識する、という音楽文化を持つ人たちも沢山いるという前に聞いた話と繋がった。実際、私には尺八での曲の違いがすぐにはわからなかった)、みんなで山へ竹をとりに行って穴を開けて作る、
歴史的には、貴族の楽団の中から、予算不足で尺八が排除されたのを、禅の一環として政府に認定されていた虚無僧寺に集まった人たちが取り入れ、コンサートのような形ではなく、商店やお金持ちの家の前で吹いて、お金をもらうまで帰らなかったので物凄く嫌われていた、最後の方は、迷惑すぎて、村全体で一括でお金を虚無僧に払い、演奏もせずにそれをもらうシステムになっていった、など...。
かなり社会の枠に収まらない人たちだったようだが、一音成仏、戦国時代で人が殺される世を儚むことから演奏する動機が来ていて、物凄く聖性を感じさせる音だった。(虚霊とか、虚空、とかいった曲のタイトルがあったが、埴谷雄高も虚無僧好きそうだなと思った)
タルコフスキーもただ直な善や美というより、邪悪なもの、爪弾きにされているもの、が必要な人に思え、サクリファイスのあのシーンで尺八が流れる意味が、オリエンタルな日本性、という枠組みとは全然違った形でやっとわかって申し訳ないような気持ちすらした。好きな映画だと思っていても、これほど自分は何も知らないのだなと全然別のものを見る思いだった。

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最近、歌とギターを練習しています。
やることがなければずっとやっていたいくらい、ギターの響きが好きです。
動機は、AIが音楽作れるなら自分はむしろ体を使ってやってみたいなと思ったことと、電気を使わないで自分と人を楽しませられるようになりたいと思ったから、  またカラオケの練習だけよりも、楽器をやった方が、本質的には歌が上手くなるだろうと思ったため。
ギターではなぜかボサノバが弾いてみたくなり、youtubeで、5フレと6フレの真ん中の二つの弦を、ただボサノバリズムで交互に繰り返すだけ、というのをやってみて、振動が体に来て、瞑想的になり、ずっとやってられる感じでいきなりハマった。
尺八も、一音を吹いているだけでとても良い、とリョウさんが言っていたが、私もギターに対してそんな感じがある。

歌はずっと物凄く下手で苦手で喉も弱く、カラオケも嫌いだったので、練習すれば出来るものなのか、あえて挑戦してみたいと思った。
周りにいる歌を歌っている方に、どうやったら歌が上手くなるのか、声が良くなるのか、思わず聞いてしまう。

Kid Fresino君:(共鳴とかどうやって習得したのかについて)忘れた笑 (でも10年前だったが、共鳴の場所について話してくれたのを覚えている)
松野泉さん:(歌心が私はないのですが、というメールに)歌には心はないから大丈夫。声を出すのが面白ければ面白くなるはず。
Cuusheさん:最初から上手い人なんていない。でも、声質に合う歌、というのはある。感情をどう乗せるかという例で、今年のグラミー賞でのジャスティン・ビーバーについて教えてもらった。同じフレーズの繰り返しなのだけど、全然違う感じで歌っている。
Diskomargauxちゃん:誰でもがオリジナル。下手が才能。なるべく装飾をつけずに話すように歌う。
荒井眞理さん:体を楽器のように使うといい。

最近思ったのは、歌が上手い人は、リアルタイムで感情移入をしているのかと思っていたのだけど、実際は声が素材のようになってそれ自体が自主性を持って、そこから自分自身の感情が触発もされるし、また一度それで成形した歌というものを、再現できる能力もあるのだろうと...。声が道具というとまた違うけれど、自分とは別のものになるんじゃないかなと思った。だから恥ずかしくないというのにも繋がるのでは。私も、一度モノマネをやめて、引っかかったところを自分で納得する形になるまで何度も調子を変えて歌ったら歌えたところがあった。



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共通点、見えているはずのもの

2/11/2026

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anohniのインタビュー、10年前のだけど偶然読み、参考になるところがあった。
この頃私もデュアル・シティという長編映画を初めて作って、女性監督の文脈に色々お世話になったような気もします。(デュアル・シティは、物凄く頑張った作品だったが、制作プロセスでも、製作者のジェンダーの偏り的な意味でも、anohniの話に沿うと、男性的な映画だった側面もあるとは今は思いますがーそしてだからこそ「頑張らざるを得なかった」ー高市さんが働いて、働いて、働いて、とあえて言わざるを得ないようにー私にはあの言葉が組織を沸かせる手ぐせみたいな感じに聞こえたーもちろん労働は尊いし達成感や喜びがあるものであるべきとは思うのだけど、、)


https://www.ele-king.net/interviews/005102/​
インタビューの中の男性性、っていうのは事実(マジョリティである男性政治家がやってきたこと)としてもあると思うけれど、10年経って、クオリティ(とそれが繋がっていてもたらすもの)のどちらかの過剰性と読んだ。


"男性政治家たちを見ればわかるけど、彼らは失敗ばかりしているでしょう? 彼らが操作してきたいまの世界を見てみると、この世を破滅させるのにじゅうぶんな武器が存在し、森、山、海がどんどん破壊されていますよね。伝統的に、家族やコミュニティを守ろうとするのが男性の役割で、彼らはそのために戦うための軍隊とチームを作る。いっぽう、女性の役割というのはすべてのチームの繋がりを考えること。女性は家庭のなかで子供のために平和を作ろうとします。すべての環境の繋がりを把握し、それを基に平和を作り出すのが女性なんです。男性は仕事をして自分の家族だけを守ろうとするけど、女性は家族を「作ろう」とする。いまの私たちに必要なのは、世界で家族を作ろうとする女性のスキル。そうしなければ、自分たちと自然の繋がりを見出すことができないんです。それどころか、私たちは自然を殺してしまいかねない。だからこそ女性のリーダーが必要だし、とくに年配の女性たちの知恵や見解が必要なんですよ。彼女たちの助けが必要だし、いっぽうで若い女性は強くあり、前に向かって進み、いまのシステムに対抗することに挑んでいく必要がある。男性が世界を破壊しようとしているわけではないのだけれど、単純に、彼らにできることと女性にできることが異なるんです。いまの世界に必要なのは、女性の力です。


​(略)

■女性で、実際いまそこまで考えているひとはどれくらいいるのでしょうね。

アノーニ:そうなんですよね。立ち向かうというのはすごく難しいと思う。でも、興味や関心をもっていなくても、気候や世界はどんどん変化し続けます。海も死にかけています。それなのに私たちは海からさらに多くのものを奪おうとしています。海が死んでしまっては、海のなかの生命体や魚はすべて消滅してしまう。そうなったら、いったい世界はどうなってしまうんでしょう。私はそういう未来が心配です。でも日本はすごく美しい国だと思うんですよ。自然とひととの繋がりが、他の国よりもきちんと考えられている国だと思います。日本には古い文化がまだ存在していて、さまざまな自然との美しい共存の仕方が受け継がれていると思います。


​(略)

アノーニ:私はすごく日本のアートに影響を受けているんだけど、とくに土方巽や大野一雄の舞踏にはすごくインスパイアされています。第二次世界対戦のあとにとくに浸透したアートで、すごく強烈なイメージを持っている。生きるための困難や美しさ、そして、何が美しいのかという考え方の変化が表現されているんですよね。原爆投下後の最悪な光景に目を向けなければならなかったから、あの強烈なイメージが生まれたんです。地獄のような光景。舞踏では、そういった苦しみが表現されました。そういうものを表現しようとする創造性には、ものすごいパワーが存在していると思う。それを理解し、ダンスや音楽で真実を伝えるというのは、すごく重要なコミュニケーション方法だと思います。

​(略)

■ということは、あなたはヒラリーを支持しているのでしょうか?

アノーニ:もうわからないんですよね。もちろんサポートするべきなんだけど、同時に信用もできない。彼女をサポートすることは必要なんだと思うけど、リーダーひとりが女性であるという事実だけではじゅうぶんではないと思う。政治の世界で、女性の割合そのものが増えなければ意味がないんです。マーガレット・サッチャーも、女性ひとりが男性のルールのなかでリーダーになっただけ。でも、政治自体が女性から指揮されるようになれば世界は変わると思います。30%を越さなければ、リーダーが女性であってもすべては男性主体のままだと思いますね。"

衆参両院19%
衆議院15.7%
参議院25.4%

(2024)

意外だったのが、原爆と暗黒舞踏のお話、確かにそうなのかと思ったのだけど、自分ではこれまであんまり関連づけて考えていなかった。前にアフリカの儀式からの影響もあるのではという研究についてもお話を聞いたことがあるので、原爆と言われると、繋がりが強すぎて、すごく単純に見方が固定化されそうだけど、海外的にはそういう評価なんだなと...。あるいは自分の中で、かなり自然に原爆的な表象を見ているんだなと...。

検索して出てきたページからの引用

https://relak.net/toshi-kasai/study/butohmethod.htm

Not "the Atomic bomb"... (Nov.,2006)

Many dance critics prefer connecting Butoh with the Atomic bomb, but as far as I have studied Hijikata's books, there were no descriptions found about the atomic bombs. His writings show, I believe, that he was not a political person but a dominating dancer and artist talented also in writing. There is only one thing that shows a relationship of Butoh and atomic bombs: A movie titled "Atomic bomb and navel" directed by a Japanese photographer Eiko Hosoe who published "Kamaitachi" photographic album of Hijikata. But, the content of the movie is very funny although the bomb exploded at the last scene. In the World War II, Tokyo was bombed out in an air-raid by three hundreds twenty five B29-bombers, and about 200,000 - 100,000 people were burned to death one night. It well matches the atomic bombs in Hiroshima and Nagasaki. Akiko Motofuji, Hijikata's wife who died in 2003, told me what happened in Tokyo at the night, but she did not mention to the atomic bombs in Hiroshima and Nagasaki. It is not the Atomic bomb for Japanese citizens, but they are (atomic) bombs. When dance critics use the phrase "the Atomic bomb" describing something about Butoh, it is , I believe, surely an easy rhetorical expression that is nothing to do with Butoh itself. Butoh came from the hardship and poverty that Hijikata and the people of the rustic northeast prefectures had suffered historically. See ganimata or bandy-leg, and crooked back.
(和訳:
ダンス批評家の多くが舞踏と原子爆弾とを結びつけるのを好むが、私が土方の著書を調べた範囲では原子爆弾についての記述は見あたらなかった。彼の書き物から,土方が政治的な人間だったとは私は思えず、書き物にも才能のあった傑出したダンサーでアーチストだったと思う。舞踏と原子爆弾とを結びつける唯一のものは、「原爆とへそ」というタイトルの映画で、これは土方の写真集「鎌鼬かまいたち」を出版した写真家・細江栄公が監督をした作品である。しかし、映画そのものは,最後のシーンで原爆が爆発する以外はかなり愉快な内容である。第二次大戦中、東京は325機のB29爆撃機によって爆撃を受け、20万人から10万人の人々が一晩で焼き殺された。これは広島・長崎の原爆にほぼ匹敵する。元藤燁子、土方夫人で2003年に死去、がその晩に東京で起きたことを私に語ってくれたのだが、広島・長崎の原爆のことにふれることはなかった。日本の市民にとっては、それは「原爆というもの」ではなく、あれらの「(二発の)原爆」である。ダンス批評家が舞踏について何かを述べようとして「原爆」というフレーズを用いるとき、それは、私には、安易なレトリックに思える。舞踏は、土方や東北諸県の田舎の人々が歴史的に経てきた辛苦と貧困から出てきた。(そうした点から)がに股や猫背を見よ。)

趣旨は,土方巽の書き物の中に原爆について書いたものはほとんどないこと。原爆は写真家の細江栄公による映画「へそと原爆」という滑稽な映画の最後のシーンに出てくるだけであること。土方巽夫人の元藤燁子は、20-10万人が一晩で焼き殺された東京大空襲(325機のB29爆撃機による)についてふれているが、話の中に原爆のことは全然出てこなかったことから、少なくとも原爆…ということを中心にしてものを考えていたという形跡は見あたらないこと。(なお、竹内実花は、舞踏の白塗りは東京大空襲で焼き殺された人たちの魂を弔う気持ちで行っているという元藤燁子の発言を聞いています。)

なお、欧米のダンス批評家が、戦後始まった舞踏と日本を敗戦へと導いた原爆を象徴的に結びつけているようだけれども、被爆当時「新型爆弾が落ちた」としか知らない日本人が積極的に「原爆」を持ち出す状況にもないという歴史的状況からも明らかに奇妙な感じが残ります。これについては、Oxford Brookes大学で舞踏の博士論文を書いているPaolaが、その誤った解釈を1984年頃に最初にしたダンス評論家をほとんど特定している文章を見つけ出しました。日本の人が書いた2000年の論文です (Kurihara Nanako, 'The Words of Butoh' in TDR: The Drama Review, Vol 44, n 1, Spring 2000, pp. 10-28) (11/25,2009付け)。したがって、散見する「Butohと原爆の関係」という理解は,1984頃のダンス評論からの孫引きや引用や転用などによって増幅されたと考えられます。




私は、中学生の時に、一年かけて、原爆をテーマにした戯曲のお芝居をやったことがあり、その時に図書館にあった本など箱にいっぱい借りてきて、みんなで話し合った。
黒い雨のような作品がカンヌで賞を取れなくて、なぜうなぎみたいな作品がとってしまうのか...、みたいな国際的な話もあると思うし、今のところ唯一の加害者である米国も、その後何をやっても正義のヒーローだからと言い訳できるままなのは問題だと思うけれど、
単純に、被害者が語るとき、その勇気や動機は、過去の方向だけではなく、未来のためであり、「やめといた方がいい」っていう話なのだと思う。

原爆を、誰も、単純に物理的にすごいということは理解できるのかもしれないが、それが質的にも全然違う兵器だということを、デュラスみたいな人や米国南部の存在的敗北感を芸術性にまで昇華した人たちでも、
「不可視」や「話を聞いて気絶する」みたいな方法でしか、伝えられないのがある意味で誠実さでもあり、ハリウッドなんて予算の問題で、容易く"非/現実化"出来ると思うけれど、それだと本当に何も映らない"ただのゾンビ映画"になるのだと思う。吉田喜重も不可視を選んだ。
可視にしている人もいるし、私自身は原爆は何ものとも違うと昔から思っていたけれど、ガザの映像を見ると、違いがよくわからなくなってしまってもいる。

ただ最初の話に戻ると、確かに視覚的に、相当「見えて」いるはずなのに、私は原爆と暗黒舞踏、全然見えていなかったから(誤解、あるいは海外から見て説得力のある線らしいけれど)、その自分の意識ににびっくりした。



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方向性

2/8/2026

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できる限り現実を見ていそうな方、組織に投票をしました。
もうほとんど、タイミング的にはこういう事を書くのも無意味なんですけれど、
何回か前に、石破氏に負けて、総理大臣に高市氏がなれなかったけれど、変わる人として自分の創作の中でいずれにしても総理大臣にしたいキャラクター性がある、応援したい気持ちがあると言いました。(ただし、色々みていく中で、最終的には林氏が自民党では一番マシではないかーその後お金の問題が出てきていましたがー、しかし与党がずっと同じだと腐っていくのは当然なのでとりあえずもう一度変わったほうが良いという結論までその時は書きました)

その頃は、あんな悪い意味での男の力学ばかりの自民党の中で、ならないだろうと思っていた部分もあって、前回に引き続き、偶然、高市さんが大臣になる瞬間をネットで見ることに至り、「凄い世界線になったな...」と内心思いました。また、進次郎氏があれでなっていたら自民党はそのまま終わっていたと思うので、さすが組織としての勘がしぶといなとも...。
そこから現在までの現実として、高市支持がマジョリティである、しかも若い人に多い、というのも、こないだブログを書いたときは自分は予期していなかったことでした。(若い人に自民党支持が多いというのは風の噂で聞くことはあった)

この数ヶ月つぶさに見ていて、多くの国民と同様、本人のこと直接知らないので、メディアを通した印象以上になるわけはないのですが、
高市さんは、嘘に対する罪悪感のなさを含め、ものすごく自民党政治に染まっているということ、日本がバブルだった時代にバブル的な側面を享受した人の価値観しか持っていない、また、意外に(言うほど)オリジナリティがない、ということを感じました。

また、私自身、アメリカのカルチャーもとても好きですが、日本と米国の関係性はとにかく気持ち悪く、落とされた原爆のトラウマだろうと思っている部分があり、日本に鎖を断ち切り、米国と適切な距離をとって欲しいタイプの人間で、そのためには軍事ではいずれにせよ勝てない(米国ほど戦争好きで、また慣れている国はない)し、全然違う土俵ー平和主義に依って立って欲しく思います。

・イスラエルから日本が武器を買う話→これは高市さんの前からかも知れないが、結局、現在までのパレスチナ人の虐殺全体が、大掛かりなマーケティングだったのではないか。最新兵器の人体
実験にしていたことは間違いないにしても。先鋭的だと昔から言われていたドローンを、ロシアとウクライナの戦争を見ることを経て、実戦で試す必要があったのだろう。(ネタニヤフと会ってイスラエルから説明を聞いた議員の人もそれが一番の違和感だとブログに書いていたけれど、戦力の凄まじい差を考えても、発端になったアクサーの洪水が成功したことがいまだに不思議です。ネタニヤフは戦争状態の方が都合が良いというのはよく言われています。ただ、イファト・トメル・イェルシャルミ少将が、パレスチナ人へのイスラエル軍の凄まじい虐待をリークしたことで起こった反応を知ると、やはり敵(エサ)を与えられた国民自体が、興奮して抑制が効かなくなるというか、日本も似てますし他の国もそうなのだろうけど、かなりファナティックに熱狂しやすい部分があるのだろうと思わずにはいられず、しかもその人たちはどこかから来てどこかへ消えてゆく人たちというか、最終的に間違っていても責任を取らないし取れない雪崩のようなもので、「愛嬌のある」リーダーだからこそ、その国民性に応答する形で互いに助長していってしまう部分もあるのではないかと思ってしまいました。
日本人に関しては、正義感が強いのがこじれている感じがし、「日本が戦争になったら戦う」より「台湾が戦争になったら戦う」と答えた日本人の割合の方がだいぶ高いという記事もあり、幻想的なものを感じた。高市さんも幻想的だと思う。

核兵器も、広島長崎に落とされた後、大人気になった。
一度目の広島までは、狂気に駆られた日本を完全に黙らせるためという理由もわかるが、長崎は明らかに不必要だった。
→日本は、ロケットすら失敗している以上、(高市発言で中国との緊張もいきなり高まってしまった結果、時間がなくなり)武器を買うしかないのかもしれないけれど、イスラエルはポケベル爆弾の実績もあり、武器にはバックドアがあると普通に思う。
・軍事費を多くする→派生技術のことを国会で嬉しそうに話していたので、自国の科学技術を上げ、経済を復活させるための最後の方法というならロジックの理解は出来るけれど、安倍総理の時にあったような、三倍もの値段で米国の武器を買わされるのが続くだけなら本当に無意味というしかない。

・柏崎刈羽原発のいきなりの再稼働、すぐにトラブルによる運転中止、さらに再稼働
→東京の人はよく知らないかもしれないけれども、私の家はこの原発の50キロ圏内で、興味深く見ていました。関東圏へ電気を送る原発です。
驚いたのは、2007年の新潟での地震のときにこの原発の2、3、4号機はすでに止まっており、ずっと積雪の際の避難計画について決まらずに議論していたのだけれど、少し前にそれを決まらないまま放り投げて、とりあえずの再稼働が決まったこと...。
県民に問うとか言って、県民投票をしなかったこと...。
今年は特に雪が多いが、毎日1時間くらい雪かきしないと、家からまず車が出せないから、原発が地震も含め事故った場合、テロや戦争などで狙われた場合、近くに住む人は、逃げるためにまず、放射能を浴びながら雪かきをすることになる。除雪車もいつ来るのか?
消雪パイプにいくらお金をかけても、すべての家に熱線を敷くことは出来ないし、逆に電気の無駄遣いで本末転倒になる。
新潟は日本の中でも食料自給率がとても高いが、それが放射能汚染されてしまう可能性もある。

一連の再稼働の話の中で出てきた、「新潟への感謝を忘れず」という言葉の中の、なんともいえない不快感(靖国的でもあり、また、感謝を忘れずとか...、どう考えても嘘を書いているところ)、お金で解決しようとしたところ...
県知事の様子とか、高市さんになってすぐだなぁとか、ニュースになってから再稼働が早すぎるので(その後一瞬で止まったが...)水面下では決まっていたのだなと、色々なことを思うのですが、

原発というものは、奇しくも落とされた原子爆弾と同じクオリティを持ったものだけれど、それを再生に活かそうとする熱に浮かされたような状態で作られたのだなと昔の科学者の話などを読んでいると思う。最近、原発を作るのに関わった科学者が、これほどまで廃棄物が深刻な問題になると思っていなかった、と発言しているという記事も読んだ。
昔はわからなかったことで今はわかっている土地の適性とかもあるのだろうし、さらに2011年で多くの認識がガラガラと崩れたはずだけれど、もう始めてるから止められない、作っているからできるだけ安く使う、老朽化していて基本的なこともトラブルになっているのに、とにかく動かせ!!なのだなと...。
最悪、電気がなくても、生きていられること、楽しくいられることについても、しばしば考える。

・核兵器→牧歌的な人々、無垢で素朴な人を征服して土地を奪う人がいる。
ウルグアイのある島に行った時、"その島にあるすべての動植物が集められた博物館"で、立派な服を着て椅子に座った白人の征服者の肖像の横に、ほとんど裸で地面にしゃがんで何かしている、男女と子供の絵、が並んで飾られているのを見て、こんな人たちを殺して土地を奪ったんだと改めて驚いたことがある。
歴史的にあったし、これからもあるのは想像出来、それを止めるにはお互いの強さの拮抗という形でバランス、調和を保つ方法があるというのもわかる。
今まで核兵器を日本が持っていなかったのは、実際は平和主義のためではなく、米国が許さなかったからだろうとも思う。(米国が許せばすぐ持つことになるのだろうとも)
ただ、核兵器に関しては、ここ最近のことを含め改めて考えた結果、日本はやはり、持つべきではないという結論に、私自身は至りました。

むしろ、もう一度、今度は自分の意思で、持たないと決定すること、それを、リーダーが上手く国際的な関心を惹く形で平和主義と結びつけて説くことがセットなのですが、それは非常に難しいことでもあり、高市さんは絶対に出来ないだろうとわかってしまうのが本当に残念です。
被爆国で生きた、生まれた人しかわからない核兵器の側面があると私は思いますし、それを都合よく忘れたふりをしたらいけないと思う。潜在的には全く忘れていないのだから。最近、「根こぎされた人が、人を根こぎにする」というシモーヌ・ヴェイユの言葉について勉強した。



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