Central Game - Yokna Hasegawa web site
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新しいウェブサイトNew websiteと謎の反骨精神と西暦零二千二十三年はじまりのうた

1/10/2023

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​​明けましておめでとうございます。

突然ですが、

​新しいウェブサイトができました🧩​
NEW OFFICIAL WEBSITE

▷https://yoknahasegawa.com/

(デザイン:山井隆介  DESIGNED BY RYUSUKE YAMAI)
​


ドメインはシンプルに、yokna~(名前).comにしました。

前々から、Central Gameというサイト名にしているからか、Googleでやっても一ページ目にも上がって来ない..と感じていたのですが、それと関係があるのかないのか、11月頃から山井君が実験的にポートフォリオを作り始めてくれて、あれよあれよという間に集大成的なページを作ってくれました。

図鑑的に、Yokna Patofa〜長谷川億名(2005〜2023)という名義で作ったものが集めてあります。
山井くんのアイディアで、映画、映像、写真、テキスト、MIXTAPE、などなどその時々の興味で色々やってきたことを、年代順ではないルールで並列させました。それぞれのページに作品説明があります。


Picture
yoknahasegawa.comフロントページ

こうやってみると、不思議な線形を描いて不時着しているようなものばかり、・・・

Central Gameという名称もcentralgame.orgというドメインも気に入っているので、Webサイトをファサード〜本館、こっち(Central Game)を奥の間的にしておき、ブログはその分これまでよりも自由に、引き続きここで書いていくつもりです。

あと自分は匿名交流のコンセプトは好きなのですが、twitter,FB,IGといった大手SNSが好きではなく、恐る恐る現実の延長とか
広告的にしか使えないため、結果やらなくなっています。ゴミになるか宝物になるか紙一重だけど手紙や写真やタブロイドの束がなぜか好きです。

いわゆる"メタバース"も、好きなはずなのですが、自分が夢見ていたぼやぼやしたものに勝手に名前をつけられ、強要的なまでに販促されているものに身を任せたくない・・。
ただもちろんウェルメイドなシステムを利用して反則的な冒険をする人たちはいるので興味はあります。
多分もっと瞑想的だったり体ぐるみの圧倒的体験を待っているのだと思う。
奥浩哉の「01」という漫画みたいに、またはジョンCリリーのタンク✖️テクノロジーみたいに、かつ安っぽくない、「物凄いゲームセンター」みたいな体験施設で全世界ゲームができて、しかも死んだ人も学習されているのでその中で色々な時代のアバターと再会できて、しかも自分にそのゲームの天才的才能があったらいいのになぁ...と常々夢想していますが、今生まれてくる子供達にとっては不完全性も含めて、自分の世代の8bitゲームみたいな異世界ノスタルジアの形成場になるのだろうからそれは面白い。脳に接続するのとか今やりたいかと言われると、まだ自然も完全には無くなっていないし、火星にいる人と抱き合いたいわけでもなく、自分には間に合っているのだが、そのうち「人間的に生きるためにそれが」必要な時代も来るのかもしれない。GibsonのBURNING CHROMEのショートストーリーみたいに「世界」を「想像」してそこでみんなを遊ばせるだけでスターアーティストになる時代とか、自分なりにも描いてみたい。でもいずれにしても「娯楽」」は餌でしかなくて、色々な経路も、タネが宇宙移動をするための人や接触のデジタル化に行き着くのだろうと思っています。でもそういった銀河もいつかは別の銀河と一緒になって...と考えていくと、目の前のいまこの時の地球に惹きつけられている一瞬は、決してゴミではないなぁと逆に思うのです。



▷yoknahasegawa.com



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最近は熱を出し、全身を針で刺されるような痛みを感じたが、体温もほどほどだったので、薬を飲まずにそのまま耐えていたらありがたいことに一日で平熱になった。急いでいる時、手に負えない時は西洋の薬が心強いけれど、余裕があるときはなるべく体に戦わせるようにしている。しかし、あのまま熱が下がらなかったとしたら相当辛く、不安だろう、と思う。
一応一週間は家の中にいて、出汁からちゃんと取って作ってもらったおかゆやカロリーメイトゼリーをいただいて、日頃の自分の内外での仕事の心を反省したりしていました。

痛みでうなされていた時に、「このままだったとしたら、何がわが人生の悔いか?」というのを無意識に考えていた。その時に浮かんだのが自分でも意外だったのだが、短歌だった。「せっかく作ったのに、誰にも読んでもらえないのが残念。自分で愛唱できるものを全然作れていなくて悔しい」という純粋すぎる訴えが苦しみとは全然関係ない透明な領域に、繰り返し繰り返し回帰してくるのだった。実は一昨年に一度、添削をしてもらっていたことがあったが、全く数を作ることができず、やめたきりになっていた。
それもあって二日目以降は短歌の本をベッド上で読んでいた。二冊目に、現代短歌界の重要人物、穂村弘の『短歌という爆弾』を読んだ。皆が通るものを通りたくないと思いこれまであえて避けていた、が、この本で今の自分がアクセスできるものは非常に多かった...。本だけど、パソコン通信やファックスなどさまざまなメディアを駆使していてその時代感も面白い。そして、一章丸々取り上げられている早坂類という凄い詩人、歌人のことを私はこれまで全然知らなかった。
早坂の歌を、特にキンドル版の『ヘヴンリー・ブルー』で顕著だったのだけれど、「日本語の一行自由詩」として読んでしまった。そんなものがあるかわからないけど。七五調は日本語の美しさ、日本語の遠い記憶、のように奥で揺れているだけのような気がした。凄まじい歌は歴史上沢山あるけど、それらは全部「短歌」の仲間で、それが救いでもある。でも、早坂の場合はそこからすごくはずれていると思った。生きている人間が歌っているものと思えなかった。ページをめくるたび、一行が生々しくしかし美しい誰かの魂のように現れて、その周囲は救い難いほど深い深い淵になっていた。



子供の頃、プールの近くに大きな本屋さんがあったので、そこである詩と写真の載っている文庫シリーズを見つけて、毎週土曜日に一冊ずつ買っていた。私がスイミングスクールをやめても母と弟についていって、弟が教室に通っている間、私は車の後ろで寝転んで本を読んでいた。昼下がりの1時間くらいだったろうに、なぜかものすごく退屈な記憶、耐えられないほど長い長い時を過ごした感覚が残っている。そして気づいたら夕暮れが取り返しがつかないほど近くに来ている。これがまた辛い気持ちになるのだった。帰り道、小さかった弟が、母が、車の中で、毎週、どんな話をしていたのか。どんな様子だったのか。全く覚えていない。「ふざけていた」とか「ちょこんと座っていた」とかそういうのも。「いつもどんな風だったんだっけ?」。今なぜかその忘却をものすごく悲しく思う。とても思い出したいと。プールにアイスの自販機があって、それを食べていたかもと想像してみる。カラスも飛んでいたかも。砂利道では車は揺れていたかも。
その頃の詩と世界の混ざった、なんとも言えない主観的な感覚を思い出したのだけど、もっと鮮明に目の当たりにでき、さらに体を失った言葉の無間地獄にあるような魂のリフレイン性や、かと思えばシティポップのような「トレンディ」な時代の空気感を生きている一人ひとりの人生が透視できてとても好きだ。


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Webサイト資料用に整理したら写真が大量に出てきた。これは2018年の5月
短歌資料用写真。シーラカンスは美しいな。名が。骨格が。みんなも演出の仕方をわかっていて、深海の色にいつも取り巻かれている。
短歌を作っているときはきれいな画像が結構集まる。3枚目はレメディオス・バロ。Vesselのアルバム、『Queen Of Golden Dogs』や ピンチョンの『49の叫び』など、好きな作品のモチーフになっているので気になる存在です。やはり「隠されているもの」に一番萌えてしまいます。「この人絶対タロット作ってるな」と思ったら、やはりあった。バロのタロットをただ引いて眺めているだけでも、すごくインスピレーションがあって良さそうなのですが...。

あと前々回くらいに書いた「核融合」ですが、先日アメリカで実験成功してましたね.....。
なんだか象徴的な名称で時代を感じます。
今度会うときにはおじさんにまた聞いてみたいです。

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コスモ・コルプス全撮影終了(涙)

11/11/2022

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映画『コスモ・コルプス』の撮影が、11/9の早朝に終わりました。
リサーチも含めると、一年半。撮影だけだと、一年と2ヶ月の旅でした。
泣くかと思ったけど...、泣かなかった。
まだまだ目に見える道のり(ポスプロ)がありすぎて.........そして、疲労困憊でした。
でもとにかく、撮影は終わったのだ!素材はある!新しいフェーズへ行けたのはよかった!
とりあえず、宿根木でしたので、前回も見つけた石に、関係者全員の幸せを願い、帰路へとつきました。

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前夜は皆既月食だと、野澤ケンさんやうちの母からメールが来た。
その夜は小木の川や宿根木の火星地帯の撮影だったけど暗すぎて無理で、みんなで銀河を見上げていた。
隠された月はまだ赤く丸く、象られていた。
月の光が消えたことによるものだったんだろうか?砂つぶのように広がった星の一帯は、どこまでも見入っていけそうだった。さらに遠くに、向こうに、何があるのだろう。こんな不思議なものを見ている、自分とは何なんだろう。そんな感覚に自然となった。
佐渡在住で星を見慣れてるはずの裕子ちゃんも、「天の河が凄いね!」と何度も言っていた。
去年の夏、虫崎に泊まった時も、星(特に100メートル歩く間に何個も見る流れ星)に驚いたけど、宇宙では今この時も、本当に多くのことが起こっている。

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今日はPCのカオティックなデスクトップを整理したり、勉強していた。これまでは頑固にプレミアとたまにFinal Cutで編集していたけど、今回からはダヴィンチにする必要があり、
理由は、私のカメラがSigma fpなので、Cinema DNGという一番良い規格で撮ると、パラパラ漫画みたいな写真の状態で大量の映像が入っていて、プレミアでのプレビューの仕方がパッとはわからなかった。また面倒だけど、今回はグレーディングもちゃんと学んで、新しい道具も使ってみたいなという感じだった。
正直いうと、とにかくお金がかかるので、今回のこの作品で映画や映像制作全般をやめたいと思っているのだが、それにしては機材を買いすぎて、矛盾した状態にはなってしまっている。いずれにしても、あと数年は、この映画と付き合って行くことにはなる。

これをいうと驚かれることもあるのだが、イリュミナシオンはNikon D600で撮影し、その後はFujiのX-T2というカメラを個人的に使っていた。一般的にはキヤノン5D→sony αシリーズ、ブラックマジックなどが人気だったけど、周囲とは別のカメラを使いたかった。T2で映画制作は難しいかなという印象だったけど、自分と道具の関係(ときめくか否か)の方が大事だった。
コスモ・コルプスは、他にもさまざまなカメラを五つか六つくらい使っている。
それらをどうまとめるのか、また、パート自体もいくつもあるので、それらをどう一つの作品として落とし込んでいくのか、これからはそういったことを考えていく必要がありそう。今のところは本当に混沌。でも、いったいどんなことになるのか、どんな実験ができるのか、武者震いしている。



整理しながら撮ったスクショ。→

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ぜぜちゃんの手のうちのトカゲ
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あけみさん。教会で撮影時
Picture去年の夏、佐渡。フル装備





​この映画を制作中に色々な変化があった。

量子論を本質的に理解するために、(幼年期に即、また完全に諦めた)数A~線形代数までの問題集を買った。ふと(x+y)^2や 3を証明する方法を自分で考えてみようと思って、(脳裏にヴェイユの「科学について」の中にある、ギリシアの哲学、数学に関する描写があったのだが)、図形や立体で一辺を
(x+y)の正方形、立方体としてやってみたら、できた。感動した。理系の人々にはバカバカしいことかもしれないが。公式って歴史なんだ、相当凄いツールだなと...
 
目標は、ペンローズ「皇帝の新しい心」ら辺をポエティックにではなく、読むことである.......ガチな本を読みたい。

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コスモ・コルプス『未来縄文編』撮影報告、日誌 ✏️ *付録を追記。

9/20/2022

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​先週、未来縄文編と仮題しているパートを撮影した。

晴れ男のヤマモトユウセイ君のおかげで、天気予報は雨も多かったが、佐渡は全日、夏のような快晴と言ってよかった。(今日また台風が通過して、秋が来た感じがしている)

ユウセイ君は、10年ほど前に撮影した初めての映画、『イリュミナシオン』という映画に、「キクチ」という役で出演してくれている。
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キクチ(ユウセイくん)の『イリュミナシオン』での輝き(淡々とした中で調和を破りたがり、破る、一方でだからこそ映画全体の抑圧をその分一番表現して、独特な気持ちになる存在感)をびっくりしてくれた人は自分の周りでも多かったが、今回タイヨー役で再び関わり、撮影させていただいて、やはりミラクルを起こす人、心底創造すること遊ぶことを欲し、それらをしている人だと思った(し、自分はそれを絶対逃さないようにしようと思った)。受けたことのないような速い球、変な球を投げてきて欲しいのだ。

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しかし今回は対になる主役がいる。ミツキ役のしみずさきさんだ。
最初に彼女のアップをカメラから覗き込んだ時、凄まじく異次元に引き込まれた。"生まれたての雫のような黒い炎"、と言う感じで、遠い未来まで見通していそうな強さと、ものすごく寂しげな眼差しをただ見ていればいいというだけだった。本当にミツキと言う人がいるのを見ていると言う感じだった。

この二人と私は普通にコーヒーを飲むような友達だったけど、なぜか寝食を共にする機会があり、映画を作ってみて気づいたのは、潜在意識が非常に刺激される、そういった"人類が喪失した記憶"モードでの対話が可能、ということだった。
タイヨーとミツキがどんな人物なのか、「海」はこの二人の世界の中ではどんな意味を持つのか、そしてその世界は今の私たちの世界や時とどう繋がっているのか、たくさん話したような、全然話さずに済んだような不思議な感じだ。

佐渡での撮影というのもあってなのだろうか。

また、ゆうせいくんがプログラムをしてくれて、日本語とほぼ一音対応の「ヤマモト語」というものを作り出し、異語でのコミュニケーションも行っていたからだったのか。


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言語に関しては、元々は、さきちゃんが、アイヌやシベリアで使われている、『抱合語』を教えてくれ、そのコンセプトで作った言葉を劇中に話そう、というのが始まりだった。

抱合語  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%B1%E5%90%88%E8%AA%9E

意味が繋がり、長い一つの単語を生成していくと理解したのだが、その言葉が表すものや、見えている世界について想いを巡らすことで、まるで環境や自他の境界線がないような「未来縄文人」についての共通項を持てた。結果的には抱合語ではなく、日本語ベースの言葉になったけれど、作品全体に大きな影響を与えてくれている。また、非現実的な設定もある中で、言語があるということが、「未来縄文人」の実在を信じるとっかかりになってくれた。

Pictureコスモ・コルプス 未来縄文編ヤマモト語
また、この映画のハイライトの一つは、やはり『未来編』と同じく、山井隆介君の美術だろう。
そして、そこでのユウセイ君の身体の反応と、佐渡の自然だろう。

山井君の持ってるスピリチュアルな唯物論、恐いぐらいのカルマとダルマの絡み合いは、子供でも大人でも、ヒトの記憶とソーゾー力をとんでもなく刺激すると感じる。
シンプルなモノと人の体の動きのみで、進化の歴史、赤ん坊が生まれる瞬間などが目の前の光景に多重露光されているようだった。このシーンは、この記事には掲載していないが、公開するのがとても楽しみだ。

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また今回も、佐渡の南の方の「小木町」のゲストハウス、iroの横山裕子さんには非常に助けていただいた。
ゲストハウス Iro

https://posadairo.localinfo.jp/
https://www.booking.com/hotel/jp/iro-zuo-du.ja.html​


・・と、同時に、裕子ちゃんは現代編のメインキャストでもあります。
この記事の末尾にありますが、最後に現代編の、裕子ちゃんのシーンを撮影して、一年以上形を変えて撮ってきたこの映画の撮影は終了になります。
それはすごく納得のいくことで、この映画や撮影を、裕子ちゃんに最後まで見てもらいたい。これからはそこへ全力で向かっていきたい。


最後に、撮影は山井君に助けてもらいつつ、水中以外は、自分で行った。

まるで彫刻家が彫刻刀を持って仕事をするような感じだった。
どんなに肉体的に疲れていても、カメラと接していると無尽蔵に力が出てくるとも思った。(仕事が終わればお風呂に入れると思っていたのもあるが..)
自分はやはり撮影が一番楽しいことの一つだ、ということを認めざるを得なかった。(脚本を書くこと、世界観や人物について話し合うこと、編集も好きだが、撮影はやはり、初めて生まれていく世界を観る感じで、すごい納得-感動する。)
カメラ越しに見ることで、OKか否か、どのカットが次に必要か、はっきりとわかった。
さらに、自分の目-体、カメラ、演者やモノ、世界、が回路のようになっている感覚もあった。


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Art by Ryusuke Yamai 美術中に忍ばせていたのだが、おそらく劇中は判別できないほどの形になっているので、トリビア(?)
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ロケハン中に、玉ねぎの種の作業をしている方達を発見
Picture岩場を歩いていたら、誰かが祀っていらっしゃる岩を見つけた。上の空洞には小さな石仏のような石がある。
Click here to edit.

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次回がCosmo Corpusの最終撮影になる。
その主な撮影場所である、
佐渡基督教会。

この、自然が向こうに透けて見える十字架を見たとき、地球儀の話を聞いたとき、また牧師の荒井さんたちや教会に集まる皆さんとご飯を食べたとき、ここで撮影することが映画にとっても自分にとっても必要なことだと、とても思いました。

映画を作っていると色々なことで本当に疲れ、答えが出ず、そういう基本的なことも忘れてくるのですが、何度でも出会いの瞬間に立ち返り、とにかく縁があり、あった、これからあるであろう、魅力がある人やもの、ひいては世界、の潜在能力を出せるように淡々と頑張る、そして、それらを見てもらうため、完成させる、「形にする」、ことをやりきろう・・、と、改めてこれを書いていて思いました。



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火とヒト、理系の家族たち、苺

8/31/2022

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以前書いていたはてなブログ、いろいろ理由はあるのですが、アーカイブとしてネット上に復活させました。
blog 2013〜2019(完)
https://yoknapatofa.hatenablog.jp/



前回金山関連で三菱のことを書いて、パワハラ体制のニュースとかもその後偶然見たりしたけど、同じくらい大きな科学系の会社に、自分の親戚で勤めている方がいて、その人だったらおそらく、原発を止めるという風には行かないだろうなとは思った。
小型化を進め、廃棄物の無害化を科学の力でする。吉本隆明も反原発反対(「反原発でサルになる」考」末尾に趣旨のまとめもあります)と言うのを最近読んだけど、理系の人は、被害者やリスクが一定あるとしても、技術への信頼、知識からの今後の見通しがあるのだろう。何なら労働者の肉体的な辛さも、完全自動ロボットができるまでの過渡期的なものという考えもあるかもしれない。でもその後が私にはわからないが。

一方には、「たとえば地球がダメで火星へ行っても考え方が同じでは人間は変わらない。安全だと嘘をつき、後から危険だったのを安全にできたとしても、嘘をついていたのは変わらない、全部同じ結論、消費的で壊滅的で、一部の人や環境を使い捨てる結果になる。人のマネジメントできる範囲を大きく離れ科学の力に頼りすぎるべきではない、もっと環境とも、人間同士も共存できるように考え方や生活を変えるべき、」という、ざっと書いてしまったけどそういう感じの意見があると思う。
私はどっちもそうだなと思ってしまうけど、原発が科学の成果だとして、そっち方向の人間にとっての未来(Cのない安全エネルギー使いまくる、廃棄物も全然怖くないからどんどん出す)がよくわからない。原発最高ってなって、代替エネルギーの研究も起きないなら科学的にも良くないのでは。もっともっととなってその次は。インドとかベトナムなどの若い国だったら考え方もまた違うんだろうか。


その親戚のお兄ちゃんは私が小学生の頃、アメリカでロケットを作るのに携わっていて、アメリカ製のたまごっちをわたしたちにお土産にくれたりした。また、アメリカの砂漠を家族を連れて縦断か横断したり、バイクをやっていて(摩擦で?)小指がなくなったことを平然と話したり、子供心に何となく変わり者だなと思っていた。
いつも親戚で集まると、挨拶のつもりで悪気もないのだろうが、私にとっては失礼なことを言われるので、一度母に「◯◯お兄ちゃんは無神経だから好きじゃない」といい、「変わってるからね」と母がこれまた平然と答えたときも記憶にある。
大学に入学した後の親戚の集まりで、私が哲学科に入ったと知り、近寄ってきて、私が当然すでに読んでいるだろうと思ったのか、カントの話をしてくれた。昔読んだけどどうの・・そして次の記憶はなぜか、お兄ちゃんが、「核分裂の時代は終わった。核融合できないと未来はないね。」と淡々と言っているところに移り変わる。
カントの話によほど興味がなく、核融合の話が突然印象に残ったのだと思うが、最近核融合は1989年から長年研究した結果無理だった、でも違う何かで無害化の実験に成功したと言う昔の記事
放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ(2014)

を読んで、ああお兄ちゃんが言ってたな、と思い出した。
(2023/1/10追記:その後、アメリカで実験成功とかのニュースを読みました)

数年前に私の叔母であり、このおじさんの奥さんであるお姉ちゃんが倒れた。危機一髪で助かり、私も実家に帰り、何度目かの母に連れてもらって病院へ行くと、清潔そうな部屋で丸坊主になったお姉ちゃんが寝ていた。
​頭にぐるっと入った手術の跡、傷跡も見せてもらった。まだ痛々しく、赤さが残っていた気がするけど後から聴いた話だったろうか。私はいつも黒づくめだが、この時ばかりは上海で買った七色全部入ってそうな服を着て行った。眠っているお姉ちゃんの近くに行って母と名前を呼んで、「遊びに来たよ」と言うと、お姉ちゃんが突然目を開けて、わたしたちを見て「あっ!」と言うような表情をして、でも、そのまままた気を失うように、目を瞑り、眠りに入っていった。目を開いてくれたのはすごいことだと思った。

お兄ちゃんは倒れた時や、入院後の状況について説明してくれた。お姉ちゃんは、ひどい頭痛が起こった後も、仕事を休むのをすごく気にしていて、すぐには病院に行かなかった。それは彼女らしかった。すぐに病院に連れて行かなかった僕のせいなんです、とお兄ちゃんは言っていた。彼は仕事を長期間休むことを願い出、しばらくずっと病院に付き添うとのことだった。本が大量にあって、病気や症状についての知識が医者をたじたじさせるほどのレベルになっていると言うのは後で聞いた。
お兄ちゃんは、痩せていたが、「本当に危なかった。やたら奇跡が起こる。」と笑って言った。
私が驚いたのは、緊急手術時のお兄ちゃんの行動だった。お兄ちゃんは、手術されている最中のお姉ちゃんの脳の血管を、モニターでじっと見ていたらしかった。
「死ぬ瞬間を、それをこの目で見てやりたい」と思ったからだったという。
私はその時、なんて深い愛だろうと、しかも妻の脳の血管を見て、看取りたいなんて、自分にはないすごく理系な感覚だと、すごく驚いたのだが、今こうやって書いてみると、別段不思議なことではない気もしてきた。誰か大切な人の生命が終わる時を、見届けて、自分の記憶に刻み込みたいという気持ち。

お姉ちゃんはその後、後遺症は残ったがとても元気になった。そして元々数学科の人だったけれど、母曰く、母が趣味(脳トレ)でやっていた、ものすごく難しい数独をバンバン解いてしまうようになったらしい。母はそれを、脳の機能の変化なのではと言っていた。
元通りとはいかない大変なこともたくさんあるだろうしお兄ちゃんのことなので話す時には淡々として包み隠さないが、それらは今回は全て省略して書いた。
​
考えてみると母も父も理系で、母は特に、シダの研究を学生時代していて、昔も数年前も一緒に散策すると花の名前や、「ホラ、あれが地衣類だよ、地衣類は〜」と植物のことばかりだった。今母は、いちご農家に修行に行っている。(二年目?)草冠に母で苺と思うと母っぽいと思う。
でも一番よく思い出すのは、ある時仕事から帰ってくると、「道で拾ったよ」と、白い紙の箱の中に蚕を持っていて、しばらくみんなで育てたことだ。車を道に止めて、桑の葉を、兄弟と母で取りに行った。繭になったけど結局、孵化しなかった。
小さい頃の私だけでなく大勢の人にとって積極的に好かれなさそうなシダも、蚕も、全然面白くなかった植物解説付きの登山も、もはやノスタルジーを引き起こす。

無理やりまとめると、プーチンの考えを、世界史に詳しい人の視点でみると冷戦とかソ連とかロシア帝国が見えていて、明かなものが全然私とは違うように、理系の人の世界観もだいぶ違う、イデオロギーの違いにも、そう言う性格あるよなと。そこには人間全体で助け合う、楽天性があるのではないかと。何となくQuoraの理系の人たちの考え方や、コメント欄のほとんど争いの議論を見ていて思った。全く同じ考えばかりの国だったらやばいと思う。その上で国という全体が進む方向、止まらない理由、「常識」などがあるとしたら、それはどういう種類の幻想なんだろう、新聞社が記事が売れるように煽っていたら日本が本当に戦争に突っ込んでびっくりした、みたいな戦前の記者の話、真偽は確かめてないけど、そういうこともあるんだろうなとぼんやり思った。多数決の方へ行くのか、よくわからない権力のある人たちの思う壺へ落とされるのか、理想主義でないこと、まことしやかな選択だからこそ多数になるのか?

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最近私は、『コスモ・コルプス』の、シナリオの最終稿を書いています。今日もまとめなければいけないのに家族のことをこんなに書いてしまった。昨日寝る前に、おじちゃんとおばちゃんのことを思い出していたのだ。ちょっと前は、おばあちゃんのことを書きたいと思っていたけど、何となく書けない部分もある。

撮影を始めてから今月で、一年がちょうど経つ。毎回色々な人に助けてもらい参加してもらい、お金もその度集めさせてもらい、少しずつ撮っている。

そのくらいの映画だし、次に映画なんていつ作れるかもわからないので、とにかく正直にやろうと決めている。

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佐渡滞在詩(セスティーナ遊びと断片) 、金山世界遺産の件

8/2/2022

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荒井さんとあきさんに連れて行ってもらった、すごいところにある浜辺
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ゆかさんちの屋根裏にフクロウが巣を作った時の探検隊。
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写真家の梶井照蔭さんの船に乗せてもらった、鷲崎の海
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佐渡の世界遺産の書類の不備の件、ほんとに今更なぜ??という感じだけど、メディアの強調して伝える祝賀一色即落胆一色みたいなのよりはもっと複雑である。地元の友人たちからは多種多様な意見を聞いていた。

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具体的には徴用工として、朝鮮、韓国の方達が当時金山で労働していた問題。
「危険だとしても、高いお金を貰って仕事をしていたんだから、何が悪いの?」という意見
(NHKのドキュメンタリーも見たけれど、朝鮮のある地方の村の方を地元に帰らせ、その村の男たちを労働者として皆連れて来させる、という方法が紹介されていた。危険だというならお金のため、我慢できる人もいたかもしれないが、お金を稼いでも、地下の金山で死ぬまでとなったらまた話は違うだろう。例えば同じようなことが日本各地であったが、北海道のダム工事に朝鮮から来て、従事していた人は、自分の意志で来たが、殺されると思って逃げたという。各港には逃亡者が佐渡から出ないように見張がいたー佐渡の人で船を出して当時助けたと言っている人も実際にいた。さらに現代でも中抜きなどは良くあるし、道徳的にはマシになっているとも言える今日の暗いニュースを重ねて見るだけで、「過去の文献」に書かれていないような例外があったのは容易に想像できる。)
「日本人も同じく厳しい労働環境だった」という意見
本当にその通りだと言える。
だから徴用工問題は、
(1). 始まりから現代まで続いている資本主義の問題。(
国内人に対しても外国人に対してもだが、特に弱者に重圧がかかる)
(2). 政権を人気にするために利用された、特に隣国に対する根深い差別、ヘイトスピーチ的な問題。
(3.) 日本では美化、正当化するのが許される、太平洋戦争前後の日本の侵攻、植民地主義の問題。
などがミックスされていて全部違うアプローチが必要だと、
みんなと話し合って、まとめるに至った。
そんな中、安倍元首相の事件が起こり、タカ派だと言われる程の人だったのに、韓国の宗教団体
を票田に使っていて... など、
資本主義下では、「国(日本)」というものは無く、国民は血税の頭数であり、超国家的な、資本家、「名家」、今昔権力者、大企業への、「でっかい強制募金箱」が国、なのだなと...。ATMと言っている人もいたが、一度繋がれば、日本、アメリカ、韓国、どの国でも、協力しながら、お金をすすれる立場の人たちに、国家の守りたいプライドで敵対...なんてあるわけがない。
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積極的に動いている方達も、佐渡を昔の賑わいに戻したいという思いと、なるかならないか、結局はどちらでも良いけれど、なった場合、受け入れ先がなかったりといった問題を地元は解決しなければいけない、という責任感のようなものが大きかった印象がある。

佐渡はとても魅力的で、そう言ったこれからの議論を、世界遺産ありきじゃなくもう一度する機会にもなると、私はそう、思わせていただいた。

この間に何回か、有志の勉強会に不勉強ながら参加させていただき、市議会議員で佐渡キリスト教会牧師の荒井眞理さんから、すでに佐渡が「世界農業遺産」であることを伺った。👨‍🌾🍅🥕🥬

"世界農業遺産(GIAHS)とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域"

美しい棚田とか、柿とか、個性的な農業が確かに佐渡にはたくさんあり、車田の珍しい神事もあり、まさに上記の説明文の通りである。他農薬の減薬や、無農薬なども積極的に行っている。
佐渡ですごいなと思うのが、エコロジー意識の高さで、東京でプラスチックバックが有料になる何年も前から、佐渡では有料で、みんなエコバックを利用していたという。また、虫の慰霊碑すら存在する。
農業や、そう言った環境感覚は、これからの地球全体で明らかに指標となるべきもので、未来的な価値と言える。
​
こう言った自然の豊かな佐渡で、金山という、幕府、三菱直下、高い技術が使われていた一方、人の業、欲望の果てしなさを象徴するもの(金山は普通に大きな山なのだが、掘られすぎて、天辺から裂けている)をどうしても出てくる
ダークツアリズム的な側面になぜか触れず、世界遺産にするのではなく、
太古の地層が見られ、ジオパークとして楽しめる、佐渡島全体を自然遺産として打ち出せばいいんだ、ジオパークならば、保存するのに必要であろう膨大なお金もかからないのもいい。という話も荒井さんから出て、とても頷けた。

また、
個人的には金山の負の歴史と言える部分こそが、むしろ訪問者に考えさせることができるし、世界遺産として相応しいものなのではと思う部分もある。
私自身は、金山のある相川や南の方の小木などにいた、
遊女にもとても興味がある。溝口「山椒大夫」で、人攫いに誘拐され売られたあと、老婆になって彷徨う母と、彼女を探し続けた息子が再会する海辺がこの佐渡だと気づいたときは複雑な気持ちになった。
金山では、朝鮮、韓国人も、勿論日本人も長い歴史の中、さまざまな形で働いていた。
金脈が近くにあるらしい柄が岩肌に出ると、まるで金に対し、神を崇めるように儀式を行う一方、「佐渡の金山この世の地獄」「針の山」などと歌われてもいる。わたしは金山内の江戸時代の労働者の人形の展示に、その暗い歴史に対して意識的なものを感じたし、そうした奥深さこそが好きである。

徴用工の問題についても、軍艦島のような件があって、なぜ次に進めるのか...異なる時代の出来事を今の価値観で裁くことも、その国ごとにあるだろう歴史研究も難しいものだと思うし、自分の意見を丁寧に説明し、ユネスコを説得した結果だったらまだわかるのだが、安易な約束の反故で、普通にただの嘘つきで、自分の国の代表者がこんなことをしていることに純粋に驚かされる。

日本政府は2015年、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録の際、強制労働を含む全体の歴史を理解できるよう措置を取ると約束したが、いまだに履行していない。


もし国が本当に「世界遺産」のオーラのあるものとして、金山を登録して、地元を潤したかったのなら、強引にやるのではなく、もっとやり方があったのではないか..。一転推薦は、明らかに何かの力が働いたに違いなかった。また、ロシアの件もあり、推薦のタイミングも全くいいとは言えず。。おそらく23年は無理だろうねと話している間に、よくわからないことが色々起きてしまった。

いつも思うのは、歴史の中、大規模な金山関係を始めたのも、搾り取るような労働をさせていたのも、佐渡の人ではない...佐渡の人は「朝一番の太陽を見るのが」「野菜を育てるのが」「海を見てるのが一番幸せ」みたいな人が本当に若い人でも多い。金山を掘るのと全然関係ないパーソナリティだと思う。(ネイティブの「佐渡の人」の定義が難しいが、とにかく山にあった金はほとんど全て、どこかへ行ったのだ。)三菱や日本の大企業は今、原子力関係も牽引しているけど、佐渡には核廃棄物処分場も作られようとしていた。前に遊びに行った鷲崎(写真5、6枚目)も候補地に上がっていたらしい。去年の夏私はずっと佐渡にいたけど、海辺ではクーラーを使うことがなかった。近くの原発の電力も稼働すれば東京へ行く。

教会に宿泊させていただいたときに隣室だったトモコさんは国連で勤務されていた方で、朝キッチンでコーヒーを淹れてくださって立ち話する短い間に、知らない世界のことを聞けるのがとても興味深かったのだが、辺野古のデモに通っているお友達のお話も伺った。
2月、3月に埋め立て予定地周辺で、ジュゴンとみられる鳴き声が確認されたことを受け

辺野古の記事で、「国がやることにいくら反対しても仕方ない。辺野古の工事が止まらない現状を見れば分かる。それなら予算をしっかり取って経済を回そう」というのを読んだけど、
「国(辺野古の工事)は止まらないから止まらないのだ」と聞こえる。
総工費は9300億円。税金。


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佐渡滞在詩 1 


しかし力が生まれ 燃えているものたちは 急速に散らばる
宇宙に開く穴の輪郭
わたしは幻を見る人と同じよう
雑木(ざつぼく)の列を横切る 今夜も巨大な電波塔から天空に発信の跡
教会では人々が息をして眠っている

朝が来て緑の壁で 8月の光は眠っていた
高校生のペンキでできたつる 鍵盤を押し込み散らばる
生まれてきたことを慰めるように潮が蠢き始めた跡
教会裏に開く夏の穴 見つめれば
ワン オクターブ上 見えない隣人が同じように弾いて
わたしの右手を優しくおおう 液体性の輪郭

誰もいない伽藍堂に 炎を護る指の輪郭
わたしは幻を見る人と眠る  
30,000年前のシベリアと同じ
純白の万物が捻り糸のような勁い筋で繋がりながら散らばる  
そこらじゅうに開けた穴 自然が塞いでくれて
なのにいつからか不可逆にしたわたしのからだに運ばれた跡を刻んで

まだ傷跡のない肉体を食べる 
駅でふと、接着し自動化した欲望の輪郭  
二元論と三次現実が刺し続けるボロボロの節穴に降り注ぐ
君への言葉が不埒な種のように散らばって  
終わりと始まりの間で鼓動しているのは  
多分1万年まえも同じだけど

正しい心と一緒にふくらました恥の跡
はげしい君の憎しみと人々の驚きが散らばる 
殺し殺され初めて、見られる 存在の輪郭
なぁ、君たちが夢で見たこと、わたしほんとにやってやったんだ 
貫けば 不完全な穴 風のようなものが唸りながら通る

君は宇宙に開いた穴 そして言葉は土であり灰
黒い円環のふるえと同じように
心臓が最後までこうやって鼓動するのは
似姿を作りつづけた証
ずっとなぞっていたあなたの天文学的輪郭
汝は∞のなかに外に散らばる  
​
散らばったもの穴に吸われて圧縮に圧縮される 0+0=0、0×万物=0 
そして液体になる 海になる 轟と凪と見えてくる無数
 
(8.1)






--------
水に浮かんだ後に、90分間、言葉を書いていた。
平らな水の上 ずっと醒めた状態で、
早かったのだが、寝ていた. 寝たりさめたりしていて.
それによって.偶然の結果が出たのかもしれなかった
具体的に居やすくなった、ピタッと入ってきたのは、純粋で笑える,微笑める, 快楽的な事柄に フォーカスしてからだった それは確かに, 一番有意義な機械に、時間をする方法.   そうだろう
それは人生にも似ていないだろうか

潜勢力の話を 行きの電車のなかで読んでいた
「しないことができる」もっと本を読めば.
ユングはこう言っているー心の中の城 . 心の中の塔 . 突起、その先端が赤く、ほのかに赤く、
前に入った人が 置いてったものに
後から入った人が アクセスできる
最初の方は、壁にたびたびぶつかって、「いってらっしゃい」という感じではなかった、その前には、すり傷や意識してなかった、爪の剥がれ?の痛みがあったしー、とにかくポジション取りで難航した それでもこの切り取られた小さな海によって わたしは 何かを取り戻すのだろう。
(7.31)


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---  自動車
自動車という機械、絶対に接点がないだろうと思っていたものへの、意外なる愛着。走行したいという、欲求。理由は初めの方からわかっていた。ズーム、フォーカス、パン・・動き出す風景、接近ー離れー一々ガチャガチャした操作。この自動機械は、カメラに似ているのだ。



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科学的に、ミトコンドリア的に、わかった自分の祖先、もっとよく調べてみると、グループが発生した場所が中国北部なので、そこからシベリアへ行き、アイヌの祖先となった人たちと、中国大陸を南下し、朝鮮から弥生時代の日本に合流した人たちの群れに分かれたわけだ。だから自分で多少誇りに思っていたように、わたし(たち)はシベリアの地は多分踏んでいない。合理的とも言えるけど、ハードコアな寒さに耐えられないタイプだったとも言える。それでも中国大陸を縦断したのはもちろんわたし自身なぞよりずっと凄いが。念のため、母に、母方の祖母の貌について聞いたけど、「高松塚古墳の絵に似てる」とのことで、色々明らかなのだった。しかしなぜに高松塚古墳は、あのように、ところどころ燃えているのだろう?何人かの(いつも曖昧で、数えられない)女たちは、その空間への無頓着さは、非人間的で、渡来的で、天使のようにも見える。


---
共有と所有。内面的な契機ではなく、高齢化や少子化という外的な問題によって、人類がその価値観を持っていかざるをえない、、というのが、なんとも腹立たしいし、プログラム的な感じがしてしまう。
しかもそれでも、「みんなの地球のはずなのに、土地がなぜかずっと昔から誰か(おそらく最初に線を引いた男)のもの」という矛盾は無くならないと予想される。メタバースとかいうダサい名前の何かにもマーズ火星にも、結局同じモノを持ち込もうとしている。そしてこれら人類の進歩系の全部が商売であるということに、今更ながら驚かされる。
新しい虚夢など欲しくなく、安らげる現実があればいいだけなのに。

世界の自由な使用。初期のインターネットがそんな感じだったかもしれない。Monna Lisa Over Driveの中で、インターネットの中の「かたち」を知ろうとしていた人がいた。あの時代でなかったら閃かなかった感覚だと思える。
速すぎるので、とにかく何か書き写しておくべきだと(自身に対してはー忘れるので)、よく思う。読み返すのも面倒ではあるけど、見方が硬直化する前の未分化なところまで遡って、また考えを始めることができる。


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近況リスト /  LIFE GOES ON

4/28/2022

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①3月に行うことができた、佐渡でのお祭りや古代篇の撮影について、別の文章でまとめたい。今回は個人的なことについて。

②2022.4.14.11.50に、ヤマイユタカという新しい自分のペルソナが誕生する。その後一緒にテーブルを囲んだ方が4月14日生まれ。「こんな素敵な方なんだなぁ、ユタカは。」と、記憶。

③将棋にこの短期間でものすごくハマる。

④買った本を家で開いたら、いきなり「謹呈 白洲正子様」とあり、作者の名前もあり、誰かに筆跡鑑定してほしい。

⑤是枝監督の『映画を撮りながら考えたこと』を去年から3回ほど頼んでいるのだが、毎回なかなか送られてこず、キャンセルになる。その意味について考えていたのだが、今日、4回目にしてやっと届いて、(念の為、もう一冊マスターズオブシネマを買って欲しい意志を強めた。)わかった気がした。

⑥引っ越す。田んぼの近くで、お昼にカエルが物凄く速く鳴いたので、なんだろうと思っていたら、その後一面真っ白になり、雨が降ってきた。"レインコール"というらしい。都会だと掻き消されている肉声。ERNA BRODBERの高値がつきすぎて持ってない本で、『Rainmaker's mistake』というタイトルがあるけど、カッコいい。Rain(Lain)という言葉はカッコいいなと思う。

⑦引越し前、細倉真弓さんにプレゼントとお手紙をもらう。真弓さんは節目節目に忘れている時ふとプレゼントをくれる。今回のプレゼントは可愛い櫛で、しかも水色っぽい青とピンクの抽象的な柄で、「よくなちゃんぽいから」と言ってもらえて嬉しかった。私はいつもモノトーンの服だけど、青が一番好きで、でもピンクがそこに一緒にあると、すごく肯定してもらっているようで2度目だけど嬉しい。唯ちゃんも前に、二つ絵を見せてくれて、好きな方をあげるというので悩んだ後ピンクとブルーを選ぶと、「絶対それ選ぶと思った!」と言って笑っていた。そういう甘い感じって生きていて良かったと思う瞬間だ。手紙にはLife goes onとあった。

⑧長文。何が文章の長さを決めるのだろうか?

​全然いわゆる「告発」はしなかったのだが、3年前くらいの、このウェブサイトを作ったきっかけになった酷い事件があり、水面下でいろいろ動いていた。
結果的には良かったと思っているのだが、心の傷が消えなかった。その時自分を助けてくれなかった人に対しても、自分のものではないような生物が棲んで、怒り続けている、という感じだった。
それを創造行為の中で、力で、昇華させる、具体的には人を信じられるようになる、そして私もこれまで多くの人を傷つけてきたんだから、今度は、誰も傷つけないで作品を完成させる、ゴミも少なめに。お金は厚意に甘えず作ったり、説明した上で援助してもらって払う。そういった試みが、今回の映画だったような気がする。それが失敗に終わったのかもしれないと思うような過程を自分の意志で踏んでしまった瞬間、時間は4:48で、サラ・ケインの『4.48サイコシス』、そして彼女が真っ白な病院で毎日毎日目覚めていた時間、4時48分を、思い起こした。撮影中、神からのアイディアを掴むために、そのくらいの時間に起きていた監督もいる。カネフスキーだ。DVD BOXの特典で言っていたのだが、朝の4時ごろが彼が生まれた時間で、一番神様と繋がっている。だから撮影中、その時間に起きて、毎日神と対話?していたのだそうだ。サラの生まれた時間はいつだったのか、気になりもする。その後、自分の生まれ時間である早朝5時前に眠った。その夢で、初恋の人が出てきた。外は大雨で洪水になった校庭で、たくさんの車が水の中でひっくり返っていて迷路のようだった。その人がその前で、映画を撮るか?というので、私は、えっ、(あなたを)撮っていいの?わかった、カメラ撮ってくる!と言ったところで結局カメラを取って戻って撮ることはなく夢から覚めた気がする。その前のシーンでは、なんか白いプレハブの玄関みたいなところに、その人の子供が二人、お姉さんと弟で、弟が、落ちているベイブレードふたつを見て、私のものだと思い、「かっこいいね」と言ってくれた。その子はなんだか子供なのにしっかりした良い顔をしているような気がした。そして、「この子はさつき(と呼んでいたのだが)じゃなくて、本当はいつき。」と言われた。

驚きと共に目覚めた後、意味について考える。こんなにしっかりとその人が夢に出てきたのは初めてだった。私がビデオカメラを持ったのは14歳だったけど、それが13歳だったら、その人を撮りたかった。撮れなかったので、小説を当て書きして(勝手に)書いた。90年代ラノベっぽかったけど、初めての意識的な創作物だった。本当に夢中になったし、現実と想像が何の切り替えもなく隣り合っていることがわかった。その時この小説が、いつか映画化したら、こういう音楽を使い、こういう演出にしてもらおう、といろいろ考えていた。映画監督という役割や職業があることは当時知らなかった。
​
さつきはいつき。5月。五月。いつき=樹、斎。祓い清めること。クレンズド。非常識な時間帯にKちゃんに一筆書きたくなり、「Kちゃんの国際感覚は貴重」とおせっかいなメールをした。Kちゃんに前に、サラ・ケインのクレンズドの話を相談していたことがあって、こないだ「ありふれた話」の上映前に物凄く久しぶりに会った時に話したことも何となく心に残っていた。メールは田舎からどこかへビュンと飛んでいった。自然界にある何者よりも飛んでいっているのだろうと信じられる音を立てて。ユタカを漢字で書くと、斎咫火にしようと思っていた。山井斎咫火。

⑨水原紫苑の『星の肉体』って、よく考えると「コスモ・コルプス」だ


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核爆弾と偉い人たち

3/5/2022

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「ロシアを全滅させようとする者がいるなら、それに応じる法的な権利が我々にはある。確かにそれは、人類と世界にとって大惨事だ。しかし私はロシアの市民で、国家元首だ。ロシアのない世界など、なぜ必要なのか」
引用元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60554540

今、明日、早朝に佐渡島へいく前泊で、新潟にいます。

大まかに分けると反対の陣営にいる自分が、虐げられていた人々の救済、という名目が掲げられている侵略行為を、判断するには情報が偏ってるんだろうな..と思いながらも、すでに上記ドキュメンタリー内発言だけで、十分、核や、世界に影響を与えるような暴力を行使できる立場にいてはいけないタイプの人なんだな、という判断はできた。
この論理と今の長い権力体制や原発を攻撃したりの戦い方を重ねて考えると、「ロシアがない..」どころか、「わたしのいない..」世界など、なぜ必要なのか、という意味にも思えてくる。そしてそれをできる立場にいるんだなぁとも。

今みんなが感じているものを、居心地いいと思っている人はいないだろう。

記事を10個くらい読めば、その中で歴史のストーリーはつながるけれど、最終的にはよくわからない戦争。でも戦争はそもそもよくわからないものなのだろう。「一番儲けている人を疑え」という説もあるけど。(地球を五億人にする説も知っている)。でも、お金よりも表の権力よりももう少し何か世界を動かすものはあるんじゃないかなぁと思ってきたけど、やっぱ権力やお金しか「偉い人たち」にはないんだろうか??

ゾルゲの映画を観、憧れてKGBになった、ずっと、夢の中に生きている人なんだろう。もう、ロシアの終身トップであること以上の夢を「権力で」見るとしたら、こういうことをするしかないのですね。ロシアの人は、世界を救済しなければいけない感覚を持つ、というようなことを、ドストエフスキー?が言っていると確か埴谷雄高が言ってたような...。確かに例えばタルコフスキーの映画は、そういった使命感だけで、ロシア的自然が支えなければ、話自体は中二病的とも言える。しかし彼は使命感到達のプロセスとしては、権威は使わない。蔑まれる狂人、乞食のような聖なる人である
ユロージヴイや、ルブリョフ(いくつかある一番好きな映画のうちの一つ)を理想とした。そういう逆三角形のような大きな夢もロシアにはあるのだろうなと思う。

.......しかし、ウクライナはアメリカもNATOも直接的には助けていないにもかかわらず、大統領が亡命を拒否して戦い続けることを選んだことにより、士気が上がり、少ない兵力で善戦しているという。ウクライナでは母が銃を持ち、おばあさんが箒でロシア兵を追っ払っているのだという。ロシア兵のモチベーションの低さもあるのだという。自分はこういう話にどうしてもグッと来てしまうのだが、戦争と勇敢さを結びつけて、善玉悪玉を作っていては、永遠に戦争は終わらないだろうなと思ってしまう。

もう一つ思うのは、自分は日本というこの土地自体を守るために残るのかと言ったら、亡命できるんならすると思う。(ただ、自分の両親は公務員だったので、3.11で原発が壊れた時も、「避難しよう」と言った私に、「公務員だから最後までできないよ」と言っていた。自分はそれは尊敬した。使命感で思い出すのが、ニューヨークでキッズシッターをしたときの気持ちだ。子供がものすごく大きな木にどんどん登って行くので、私はもし彼が落ちたら、自分が死んでも自分の体で助けよう、と本気で思っていた。つまり、国土を守るべきものと思えば、あるいは国土を守る役職についていれば、私も自己犠牲が転じて戦えるのだろうか。国は守るべきであると思う。文化も、人々の平和も脅かされるべきではない。大切なものを守るために戦いたい気持ちもある。

台湾、日本が中国に侵略され、戦争になるだろうという話もよく聞く。アメリカは助けないのだから、第九条を考え直した方が良い、核武装したほうが良いという話もよく聞く。

原子爆弾、核兵器、放射能について、これほど考えてきた国も、ある意味リードしてきた国もなく、それは間違いなく誇りだと自分は思ってきた。(実際はアメリカの後ろ盾があったにせよ)

原民喜も竹西寛子も黒い雨も鏡の女たちも好きであり、こういう言い方をしたくないが、前時代の在庫処理みたいな感じがものすごいする。
竹西の小説の中で、男の言葉で、原爆が落ちた黒焦げの土地から、しばらくすると、植物の芽が出てきた、その生命力を見た時、「思い上がるな、人間たちよ!」と叫びたくなった、というものがある。私はアメリカではなく、この「人間たちよ!」という風に言うのがすごいなぁと思った。そして、小さな芽の生命力というものによって、叫びたい気持ちが沸き起こるというところが。

一度、大量の「在庫」を爆発させ、人々を、蒸発させ、地球を、不毛の地にするプロセスが、人間には必要なのだろうか。
私は10歳に満たない友人がおり、彼女らはそのプロセスを経ても経なくても、肉弾戦みたいな戦争をしなくなる人類になるのではと思う。彼女らは、不毛の土地でも、もしかしたら科学の力で生きていけるのかもしれないけど、もうそういう歴史は完全に蛇足だった、ナガサキで終わり、で良いのではないだろうか。

自分は、ある意味では、日本についての映画をずっと作ってきた。今もそう。ただ、私にとっては、何か破滅的なイメージが常にあり、最悪、日本がなくなっても、日本(日本国民というわけではない)を残したいという気持ち、とも言える。


先月は、佐渡金山についても、相川のゆかさんと毎日話していました。ゆかさんは毎日金山神社にお参りに行っている。私は確認したいことがあるので、また紹介できていませんが、佐渡今月2回いくので、一度それ関連でも調べたことを書きたいです。
​
---

最後に、今のところの私の考えは、外交で、資本主義的な力で、「2023年終わるまでどこの国からも侵略されないように持ち堪える」、です。そして、どちらかといえば、「新しい生命(AIでも、人工生命でも良い)を作る」方向性に力を向けたり、第九条で注目を浴びて答えの出ないことを2023年までの間にするよりも、国内の水とか、食べ物とか、サイバーダインとか(笑)、そういう方をちゃんとやったほうがはるかに良いだろうと思います。
ロシアの様子を見て、すぐ攻めやすいと思うとは思えないけど、今回権力者と自分の求めるものや思考回路が全く違うことが分かったので、反対かもしれませんが笑
​
少子高齢化のことを考えたり、自分も含む一般的な日本人の(場合によってはいわゆる右翼の人ですらの)愛国心的なものや、ずっと平和だったことを考えると、ウクライナのような形の強さは日本人は持てないし、持っていないと思う。台湾にはアメリカやヨーロッパさえ10年も追い付かないような半導体の技術があり、日本には何があるか。それを、企業に私有化され、ぜんぜんコンパクトじゃなかった予算と実態の差がすごい東京オリンピックと、その後の北京オリンピックの後で、考えています(映像関連では答えが出ていて、それは普通ですが、アニメとゲームです。でも、ローカル、マイナー文学であれば、なんと言っても、短歌です)

最終的に最近考えていたことがごちゃごちゃになってしまいましたが、これから、人はモノを所有せず、国からモノを借りる体制になるというような話もすごく面白いですね。プライバシーがなくなるとか。私は今の方が絶対にいいと思います。



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ちひろちゃんにピクニック中に描いてもらった、自分より美人な似顔絵。平和とはこういうことで、いつも感謝しているのだが、してもしても、いつかは戦争になったり、そこまでは行かなくても、色々あるのだろうかと思うと、どうしたらいいかわからなくもなるけど、とにかく今日は自然の中で花粉もあるけど穏やかに過ごせました。もう3時間くらいこの記事書いているので寝ます□
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Blue Ray / ブルーレイ(青光線)を制作しました。

2/20/2022

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オーダーをいただき、ブルーレイを製作しました。
全部手作り、盤面もシルクスクリーンで構想中に書いていたスケッチを印刷しました。

顔の見える誰かに見てもらえる、持っていただけると思うと、また別の緊張感というかサービス精神が出てきて、とても良い経験になりました。
​機会をくださった方々、ありがとうございました。
​
現在非売品ですが、とても気に入っているので、ウェブサイトに掲載しました。
​
First Blue-Ray of the Ocean 🌊
Containing portrait films : "First Memory of the Ocean" and "First Dream of the Ocean", 2021
Disc : M disc(it keeps memories for several hundreds years), 
Silk screen (text, idea sketch of installation "Altarcall")
Designed and made by Ryusuke Yamai 
(though  the edition number is 10, but we decided to make it be unique piece, Sold Out)

はじめての海の青い光線(ブルーレイ)
映像ポートレイト”最初の海の思い出”、及び”最初の海の見る夢”含む
ディスク:Mディスク(数百年の間、記憶を残す)
シルクスクリーン(言葉、インスタレーション作品"Altarcall"着想スケッチ)
デザイン、制作、山井隆介
ユニークピース、(エディションナンバーは10だが、現在非売品。)
2022

​


掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり   - 慈円

​
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SADOMMUNE 山井隆介 + 長谷川億名「函数の部屋」

10/21/2021

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夏に撮影していただいた、SADOMMUNEという、佐渡のカルチャーを現代〜文化人類学的な層まで掘り下げて紹介している番組です。
さどの島銀河芸術祭の紹介回で、11/7まで展示中の、「函数の部屋」を取材していただきました。


さどテレビで放映後、アーカイブ配信されています。
(両津博物館の池田先生による、
ムジナについての回など、とても面白くておすすめです。また、もっと佐渡のムジナを含む土着的な信仰について知りたい方は、『憑依と呪いのエスノグラフィー』という本は、とても面白いです。)

番組内で質問をしてくださっている吉田モリトさんや武田泉さんには、展示候補地を回る時など、パーソナルにサポートしていただいていて、すごく率直にお話できました。

ここ最近、私は人間の、(宇宙を視野に入れた場合、間違いなく起こると思うのだが)「物質よさらば」がどういうふうに起こるのが理想的なのか...(まず個体としての自分の死の方がもちろん先とは思うのだが)
そして、物質(脳)から解放された記憶(存在のかけらとも言えるだろうか)が宇宙の中でどんな風に残っていくのか、
がやはりセンチメンタルな意味でも気になっており、いま作っている映画の「コスモ・コルプス」でも結果的に、コアな問題にさせていただいています。

そういう時に思い浮かぶのは、自分の人生の中での不思議体験の一つである、「空を飛び交う光の粒」で、どういうものかというと、20代前半だったと思うのですが、ある日、明らかに自分の意思で飛んだり分裂して追いかけっこしている小さな光たちを上空に見たのです。
最初は誰かがサーチライトか何かで遊んでいるのかなと思っていたのですが、映すものもないただの空だし、たまに数が変化したりして10数個になったりしながら、明らかにそれらの光は自分の意思で遊んでいるのです。傍観者ながらも、その光たちの興奮を感じ取って、こいつらは、こんなに飛び回って、なんて楽しそうなんだ、と思ったのを覚えています。
ビデオで撮ろうか、家にあるプロジェクターで煽ろうか..(当時はスマホはなかった)と考えながらもそこから立ち去れず釘付けになっているうちに、いきなり光はパッと散逸して、消えました。時間にして1、2分のことだったかと思います。
後年、ピナバウシュのフルムーンという作品の中で、ダンサーたちの体を通して、全く同じものを見る体験をしたのですが、存在は、爆発的な喜びの中で生きることが本当はできる、また、もしあの光たちがなんらかの未来的な存在で(人間性を感じたので。)、あの時の私が偶然なんらかのエラーで目撃することができたのだったとしたら、体のなくなった、私たち、あるいはずっと平行で交わらないかもしれない彼らの世界は、それはそれは素晴らしいだろうと、思いました。

映画作品と私自身の実人生との乖離が問題だったので、今回の映画にそれを、少なくとも脚本段階で入れることができたのは、大きな進展だったなと思ってます。

私は自分の体験したことは、客観的な事実でもあって欲しいという意志(?)が強い人間で、だからというわけではないのだが、
お酒もほとんど飲まない。(例えば集団催眠とか、幻覚とかという結論にしたくない。不思議なことが起きても、現代科学では包括されていない現実の層があるはずで、それは追求してみたいと感じる)そういう人生の中での完全なる不思議体験の一つが前述した光、そして佐渡で守屋君、ゆうこさんと同時に体験した、「猫の不思議な事件」です。

でも思うのは結局、不思議な出来事に遭遇しても、その不思議を、放流するしかないよなと。
不思議だけど、持ち帰って、分析するわけには行かない、その光や猫は、その環境と文脈にいたのだから。そもそも科学者も近くにいないのだから、どうやっても答えなんかは出ないんだなと。
ただその奇跡的な事実の、肌や精神に残るリアリティの痕跡や、事実を何度も何度も反芻することからの気づきが、やはりこれからの人生でも、世界の可能性について考え、信じるときに、重要になってくるんじゃないかと考えています。

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サドミューンの時はまだ、未来篇(ユイ篇)も撮っていなかったことを思うと、平和だなと思います。。
しかし、この時語ったことから派生していたり、また何度もここへ帰っていったりするのだろうし、
そういった瞬間的に感じていたことを言葉にでき、省みる機会があるのは、とてもありがたいです。


佐渡の虫崎での滞在では自然に圧倒されてしまい、夏ということもあって、虫との戦いも多かった。自分は現時点では完全には自然型の人間ではありませんが、佐渡の人たちはどのかたも自分より一回り大きな感じがし、少しずつ強くなっていきたいとは感じている。

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SADOMMUNE「さどの島銀河芸術祭2021 参加アーティスト特集」!!

今回お届けするのは、美術家の山井隆介さんと映画監督の長谷川億名さんのユニットによる作品です。
プライベートでもご夫婦であり、それぞれに作家活動をされているお二人は、今回初めてコンセプトワークから設営、仕上げまでを共同で制作されたとのこと。

お二人は、1万年先の存在という、時間的にも距離的にも遠く隔たれた存在に対して伝わる言語を探求することを主題に、佐渡に長期滞在をしながら、佐渡の歴史や風土から大いにインスパイアされ、この作品を完成させました。

作品へのそれぞれの思いや、佐渡での滞在秘話、山井さんご本人による作品解説も丁寧にしていただきました。
この作品をもっと深堀りできるインタビュー記事も公開されていますので、ぜひ合わせてご覧ください。
さどの島銀河芸術祭 山井隆介+長谷川億名「函数の部屋」

https://sado-art.com/2021/06/26/山井隆介+長谷川億名/
函数の部屋 Interview with 山井隆介+長谷川億名
https://sado-art.com/2021/10/04/interview-yamai-hasegawa/

【お知らせ】 現在、さどの島銀河芸術祭2021は、会期を延長して2021年11月7日まで開催しております。 クローズになった展示もございますが、まだまだ見どころある作品が展示されておりますので、ぜひ足をお運びください。 クローズになった展示会場など、詳細はこちら
https://sado-art.com/2021/10/01/extension1107/


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出演者、エキストラさま募集!!

9/28/2021

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だいぶ近づいてきましたが、冬になる前に、勢いで行けるところまで行くつもりです。
もちろん安全には気をつけつつ...変わった映画ではありますが、興味のある方はぜひご登録いただき、参加していただけたら幸いです。
(①は、交通費、食費支給。報酬ありです。全国から募集していますが、佐渡島の方だとベストと思っております。
②と③は、交通費と、時間帯、貢献度によっては食費・報酬の支給もあります。ただ、佐渡島在住の方、島で合流できる方限定になります。)
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    ▷new websiteができました!
    https://yoknahasegawa.com/
    ブログはこのままです。今年は記事も2割増しくらいの頻度で書きたい。

    ▷今月考えた本:
    『ヘヴンリー・ブルー』
    早坂類

    ▷Yokna  Hasegawa 

    ​(長谷川億名)
    ​INTP・女

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