展覧会のお知らせ 「ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓 UPCOMING EXHIBITION! : DIGITALIS OR FIRST-PERSON CAMERA | UMI ISHIHARA, MAIKO ENDO, YOKNA HASEGAWA, MAYUMI HOSOKURA (17 APRIL - 29 MAY, 2021)」 4月17日(土)より、Takuro Someya Contemporary Artにて開催される 石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓の4名のアーティスト、映画監督による展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」に参加いたします。 写真や映像をベースに制作している細倉真弓により企画された本展覧会は、映像分野の中でもそれぞれ違う領域で活動を続ける4人の作品に見る「一人称的な視点」を通じて、いま現在の私たちにとっての「みる」ということを編みなおす機会になるでしょう。 すべて今回の展覧会のために制作された新作になり、映像作品、インスタレーション、写真作品を中心に構成されます。 ________________ ジギタリス あるいは一人称のカメラ ジギタリスとは大島弓子の同名作品中において主人公の友人の兄が「眠れない時無理に目を閉じているとどこからともなくわいて出て消滅する不定形の発光体」「その1番でかい1番明るい星雲」につけた名前である。 視覚の実体と現象のあわいにあるような超個人的な視覚の記述であるが、だがいま私が見ているこの世界がそのジギタリスと違うと言い切れる確証もない。泣けば目の前が曇るような個人的な眼差しと共に私たちは日々生きているからだ。 カメラは機械の目による客観的な記録装置として認識されているが、同時に撮影者の視覚を共有することを可能にしたある意味でとても個人的な視線のツールとも言える。 一度カメラをそのように捉え直してみれば、誰かの目の裏をなぞるような、誰かのジギタリスと出会うことが可能になるのではないか。 ジギタリス、あるいは一人称のカメラは、私とあなたの境界を少しだけ曖昧にする、なぞられた視線を逆に辿ったその先にあるものについての問いである。 細倉真弓 ________________ プロフィール 石原海 Umi Ishihara 映画監督/アーティスト。愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマに、物語をベースとした実験的な映画作品とヴィデオインスタレーションを制作している。初長編映画『ガーデンアパート』、東京藝大学の卒業制作『忘却の先駆者』がロッテルダム国際映画祭に二作同時選出(2019)。また、英BBCテレビ放映作品『狂気の管理人』(2019)を監督。『UMMMI.のロンリーガール』で、英国の新人アート賞 Bloomberg New Contemporaries入選(2019)。ヴィデオインスタレーション『どんぞこの庭』で、現代芸術振興財団CAF賞岩渕貞哉賞受賞(2016)など。 遠藤麻衣子 Maiko Endo 映画監督/アーティスト。1981年、ヘルシンキ生まれ。東京で育つ。2000年にニューヨークへ渡り、バイオリニストとして、オーケストラやバンドでの演奏活動、映画のサウンドトラックへの音楽提供など音楽中心の活動を展開した。2011年日米合作長編映画『KUICHISAN』で監督デビューを果たす。同作は2012年イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞。2011年から東京を拠点に活動し、日仏合作で長編二作目となる『TECHNOLOGY』を完成させた。最新作中編『TOKYO TELEPATH 2020』が、2020年ロッテルダム国際映画祭正式出品作となる。同年第12回恵比寿映像祭に参加。 現在、東京で撮影予定の長編三作目を準備中。2021年に初の美術作品となる映像インスタレーションの制作にも取り組んでいる。 長谷川 億名 Yokna Hasegawa 1985年生まれ。2000年代からインターネット上で映像、散文の発表を始め、写真作品「アセンション・リバー」でキヤノン写真新世紀佳作(2013)。これまで、近未来の日本を舞台にしたSF三部作映画「イリュミナシオン」(2014)、「DUAL CITY」(2015)、飛鳥時代の伝説と北斎の春画に出てくる海女を同一人物と捉えた詩を元にした短編映画「The Pearl Diver’s Tale」(2020)などを監督。2017年第9回恵比寿映像祭に参加。環境の記録を目標としながらも、音声と映像のズレ、CGやセリフによる架空、意味を持たないほどに一次資料的な撮影、過剰な時間操作など、手法の誤用によって自分自身に起こる感情(記憶感覚)、映像触感、またそれがどれだけ他者と共有できるかを探求している。 細倉真弓 Mayumi Hosokura 東京/京都在住。身体表象をベースに人種や国籍、人と動物や機械、有機物と無機物など「かつて当たり前であったはず」の境界を再編する作品を制作している。 立命館大学文学部、及び日本大学芸術学部写真学科卒業。 主な個展に「NEW SKIN |あたらしい肌」(2019年、mumei、東京)、「Jubilee」(2017年、nomad nomad、香港)、「Cyalium」(2016年、G/P gallery、東京)、「クリスタル ラブ スターライト」(2014年、G/P gallery、東京)、「Transparency is the new mystery」(2012年、関渡美術館2F展示室、台北)など。 主なグループ展に、「The Body Erectric」(2020年、オーストラリア国立美術館、キャンベラ)「小さいながらもたしかなこと」(2018年、東京都写真美術館、東京)「Close to the Edge: New photography from Japan」(2016年、Miyako Yoshinage, NY)、「Tokyo International Photography Festival」(2015年、 Art Factory Jonanjima, 東京)、「Reflected-works from the Foam collection」(2014年、Foam Amsterdam、アムステルダム)など。 写真集に『Jubilee』(2017年、artbeat publishers)、『transparency is the new mystery』 (2016年、MACK)、『KYOTO by Hosokura Mayumi』(2021年、LOUIS VUITTON)など。 作品の収蔵先として、東京都写真美術館など。 現在、資生堂ギャラリーにて開催中の「アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田 登久子、片山 真理、春木 麻衣子、細倉 真弓、そして、あなたの視点」に参加している。会期は4月18日(日)まで。 展覧会概要: 「ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓」 会期:2021年4月17日(土)〜5月29日(土) 大型連休:5月1日(土)〜5月5日(水)休廊 開廊:火・水・木・土 11:00 – 18:00|金 11:00 – 20:00 休廊:日曜・月曜・祝日 会場:Takuro Someya Contemporary Art 〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F TSCA Web: https://tsca.jp/ ※COVID-19感染拡大防止への配慮から、オープニングパーティーは行いません。 お問い合わせ: TEL 03-6712-9887 |FAX 03-4578-0318 |E-MAIL: [email protected]
0 Comments
i finally developed the film rolls that i'd gotten in shanghai 2016. it was notorious film roles that someone unofficially put the films for cinema into film rolls for photography. so it still has anti halation backing that photography film doesn't have. i should have removed it but no stores accept to do.
so after all i did it by monochrome process. but it was enjoyable! thanks to advices by cinematographer, Mr. Koichi Furuya. i remember that when i selfdeveloped "Kodachrome 64" with Mayumi Hosokura. thank you so much at that time, too. ついに、上海で五年前くらいに手に入れたフィルムを現像した。これは非公式で映画フィルムが写真用ロールに詰め込まれて売られてるもので、裏にハレーション防止の層があって、それを取り除かなくてはならず、どのお店に頼んでも断られていた。 なので撮影監督の古屋幸一さんにアドバイスをいただきながら、モノクロ現像しました。 結果、最終的にはモノクロ現像+お湯に重曹にしばらくつけたあとこすると、黒い層が溶けて剥がれ、傷は残るもののいい感じにできたのですが、 一本目はその層が分厚い感じで全然溶けなかったり、 乾かすとどれもフィルムの色が異なり、本当に面白いフィルムでした。 コダクロームを細倉真弓さんに教えてもらいながら現像したときを思い出しました。 こちらもモノクロ フィルム現像は印象深いです。 --- 先日は自分よりだいぶ若い友人のお父さんが助監督で参加されていたというロマンポルノの作品(『団鬼六の妖艶能面地獄』)をVHSでみんなで色々言いながら観て、VHSというものの良さ、(ツッコミどころはたくさんあったが)ロマンポルノの(規制を自然にくぐり抜けるために工夫されたと思われる)不思議なズレ方をした官能の演出の豊かさ、上映を前提とし「映画」であろうとする、芸術として完成させようとする意志を実感した。 機会があるごとに、自分が観た映画の全体像を思い出そうとするけど、タイトルも思い出せない映画を大量に観た時期があり、いわゆる表に出ている名作よりも、そういったタイトルも忘れてしまってもう2度と巡り会えない作品、レアな作品群に大きな影響を与えられているんだろうと思う時がある。『妖艶能面地獄』の評価は私はわからないのだが、偶然の出会いと言う意味では、そういった映画といえばなんでも観たかった時期を思い出させるものがあって、さらにこの映画自体、限界を超えた夢のような感覚があり、夜の感じを倍増させた。 『妖艶能面地獄』は、引き込まれるところが多く、純愛(?)が非情に踏みにじられるので、ストーリーがそれを意図していたらだいぶエモーショナルになれた、しかし、一般的なエモーション(顕在意識に訴えかけるストーリー)を超えたどこかに爆浸していたのが美しかった。もはや誰の欲望なのかもわからず、世界の代表のように、「それに没頭する」ということの、切なさ、意味の識れなさ、大きな意識の穴。記憶の穴。その様子を観ている私たちと、取り巻く世界の変に醒めた、しかし蠢いているような美しさ。それは非常に大雑把な意味では色々な難所を超えた上で、神秘的とも言える、愛の概念を再定義しているという意味で好きな作品だった。 The other day, I watched a romantic pornographic film ("Exotic Mask in Hell(1988)" by Fumihiko Kato) in which a friend's father participated as an assistant director. (Although there were many places) The richness of the sensual expression of Japanese classic romantic pornography (which seems to intend to naturally pass through the regulations),it was the art to be a "cinema" for the purpose to screen. I often try to remember the whole figure of the films that I watched so far, but I had a period that I chaotically watched a lot of movies that I couldn't even remember the title. So I wonder I was influenced by such rare films that I can never meet again than the so-called masterpieces that I kept in my list. I don't know the evaluation of "Exotic Mask in hell", but in the sense of sudden encounter, there is something that reminds me of the time when I wanted to watch anything, and this movie itself has a color of dream that exceeds the limit. It doubled the feeling of the night. This film was often fascinating, and the pure love (?) was trampled ruthlessly, so if the story intended, it could be quite emotional, but rather because the film has been immersing in into somewhere beyond the general emotion (= the story that appeals to the consciousness of manifestation), I could feel Beauty. They don't know who's desire they have anymore, they are like the representatives of the world, the sadness of "immersing in it", the in-comprehensiveness and the big hole of consciousness". A hole in memory. Us watching the situation and the the world around us, but sober. It redefined the concept of love, which was mysterious after overcoming various difficulties in a very rough sense. and I liked this piece. --- Cinema Screening Club No.1 : "Exotic Mask in Hell" by Fumihiko Kato (VHS - 1988) The atmosphere of bad customs like Japanese modern horror's isolated local countryside is nice. Shots were beautiful and it stimulates unconsciousness. Erotic scenes are sometimes looked absurd because of the objective shots. on the other hand, such sensations wondering remembering something that is completely forgotten are stimulated by some scenes and it was erotic. (For example the first shot of a tunnel) 団鬼六『妖艶能面地獄』 日本の現代ホラーの孤立した地元の田舎のような暗い因習の雰囲気。 ショットは美しく、無意識を刺激します。 エロティックなシーンは、客観的なために不条理に見えることがあります。 一方で、完全に忘れられたものを思い出すような感覚は、いくつかのシーンに刺激されてエロティックでした。 (たとえば、トンネルの最初のショット) Designed by Ryusuke Yamai
Firstly I handwrote a large amount of all of my name, then he searched and collected each character and recomposed it. The mark apparently triggers the association of the cross. But it's actually the shape of road of Yoknapatawpha County that is the name of place of William Faulkner's novel. Because my name is named after that name of land. But through the process for me to be connected with the shape of land, I mysteriously felt stronger image than only have connection of sound or meaning. it gets more actuality. Also, the map itself is connected to the concept of Yoknapatawpha by Faulkner. To find its similarity with the cross is interesting. This is also the idea from Yamai. Thank you so much! Though it's still difficult to see directly, let's exchange something. The news is also coming soon, please check it out! Yokna 山井隆介氏に新しい名刺をデザインしていただきました。 名前部分は、私が大量に自分の文字を手書きしたものから、山井氏が一文字ずつ探し出し、再構成したものです。 マークは明らかに十字架を連想させますが、実はフォークナーの小説の中に出てくるヨクナパトーファ郡の地図の形からデザインされています。 でも、土地の形と繋がる過程で、音や意味だけの繋がりよりも、不思議なことにより現実的な、強いイメージを感じました。 また、地図自体がフォークナーのヨクナパトーファの概念に関連しているので、 十字架との類似性を見つけることは、興味深かったです。 これも山井さんのアイデアです。 どうもありがとうございます! www.ryusukeyamai.com 依然として直接会うのが難しい時期ではありますが、何か交換しましょう。 近々お知らせもありますのでお楽しみに! よ |
AuthorFilmmaker Archives
October 2024
|