以前佐渡へ行ったときの写真を改めて整理している。
プレゼント用にアルバムにしたかったがまだできていなかった。 佐渡から帰りたてのいま、作っておきたい気がしている。 こうしてみると、映像とだいぶ違うアングルがたくさんあって、編集で同じ映像だけを繰り返し見てきた身には、時間が増えたようですごく不思議..。 この新鮮さは、映像ではなく写真だから、止まってるから、というのはだいぶ大きいけど、このまま動き出すのを想像できる部分もある。実際、写真集を作る(撮る)のと映像を作る(撮る)のでは、何が違ったんだろうか?声だろうか。 (ちなみにPCR検査は渡航前に行いました)
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*文化人類学、民俗学者の池田哲夫先生に両津郷土博物館を一周しながら全ての展示についてお話を伺う、という驚くべき機会をいただいたとき..。乙和池について「個人的な質問なのですが..」と尋ねた時の、池田先生の乙和池の解釈は、この記事だと少し個人的な内容すぎるので、次回きちんとまとめたい。 --- 新潟県佐渡島のことは既に何度か書いていますが、初めて滞在したのは2019年。 ニューヨークで出会った佐渡島出身のシンガーの、ユカさんがきっかけでした。ニューヨークで言われた、「佐渡に遊びに来たら」という言葉を真に受けて、結局ユカさんのところで二週間くらい、ずっとお世話になりっぱなしでした。 その期間、日々の中で撮らせてもらった映像が、今回の展示には使われています。それらは、牧歌的で、微笑ましく、完結なく思い出を呼び寄せ、自分にとっては、根源的な意味で勇気づけられるものだなぁと思います。 しかし自分のことですから、どうしても、いわばヌミノーゼ的なものに対して、感性が働いてしまうのです。 今展示中のインスタレーションの中には、「乙和池の浮力」という、スギゴケで再現した佐渡の池と、その池にあった二本の木を模した作品があります。 以下、ミニチュアを作るまでに乙和池に入れ込む様になった理由を自分なりにまとめておきたい。 --- <乙和池について> この「乙和池」という場所の映像は、それほど残っていない。恥ずかしながら、機械記録以前に体験を優先してしまったのだった。 何も知らずにこの場所へ連れて行ってもらったとき、山の中の崖の上、ハラハラするような道をガタゴトと、しばらく車で登って行ったことを覚えている..。そのあと森の中の階段を登ると、この池があった。池のさざ波の細かさと絶え間なくふるえ続ける輝きに、真っ先に「ただの場所」じゃないと思った。つまりは、そんなものはこれまで見たことがなかったのだ。しかし今思えば、その時間の止まったような静けさ、ぽっかりと澄んだ明るさ、それら全てを同時に感じていた。 まるで池が...。池自体はただそこにあるだけなのだが..。この場を支配している..。自然に溢れていると同時に、池から広がる、抽象的な空間とすら言えるほどの、天上的な波及。おそらくそのさざ波は、その水の透明度から。また池自体が遠浅で水面から池底までの距離が短いから、起こっていたのだったが、その時は理由が分からず、奇異と思えるほどの繊細な現象にただただ驚いていた。 周囲には鬱蒼とした木々、自分が理解できた範囲ではシダの様な植物があり、それらが発散する水分なのか?霧もないのに、霧の中にいて、霧の中のものを見るようだった。そのみずみずしい緑に、私は、なぜか、「こんなシダ見たことない。欲しい。」「持って帰れたらなぁ」と不意に言ってしまったのだった...。 池のただ中にあり、近づいて見ることはできない(伝承によれば、乙和が入水したあと7日目の雨のあと村人が池に来てみると出来ていたという)植物性浮島の、(伝承通り)意思を持って、(伝承通り乙和が立った場所だけを残して、その周りに)形成されたかのような肉質の厚い群生、鳥居の様な人工物はやはり美しいが朽ちて、ただ置いてある感じがあり、この周辺にみなぎる生命力に滅ぼされたのでは、とさえ思えた... しかし..それらは、あの美しい乙和池から感じとった、自分の真正の感覚だったのか? それとも後の情報によって作られた印象なのか?今ではよくわからない。 なぜなら乙和池へみんなで行った日、ユカさんのお父さんに今日はどこへ行ってきたのかと尋ねてもらい、非常な満足感と共に、「乙和池へ行ってきました!」と答えた時、言われた、 「乙和池。気味悪りぃとこだろ?」という言葉に、面くらったことを覚えているからだ。お父さんは、完全に冗談を言っている感じではなく、どちらかというと真面目な顔だった気がする。私はとにかく言葉に詰まってしまい、なぜそんなことをいうのか、その理由については聞かなかった。しかし何も知らずに経験した「乙和池」の、魅力が倍増するのを感じた。 だから確かに、乙和池へ行った後自分は、あの池を、ただただ美しい場所と思っていた。のだと思う。ユカさんたちに、「すごく綺麗だった。乙和池すごく好きでした」とか、言った記憶がある。しかしそれでも一筋の疑惑はあった..。のだと思う。「あまりにも美しすぎる」と感じていたのか、そのお父さんの「気味悪い」という言葉が、体験を遡って行き、どこか本質を捉えていると感じたのだった。 ほとんどの人は感覚的に納得しないだろうが、私は天使が恐ろしい。(オットーはバッハのミサ曲のEt Incarnatus Est、神の面前で自らの翼によって顔を覆う天使を挙げていたが、自分にとっては天使が顔を翼で覆っている図で既に怖い。揺らぎというのか、音が移相する時が怖い。 でももちろん西洋的な秩序づけがされており、制作物であり、乙和池の透明な存在そのものとは全然違うが... 「天の聖霊はこの世界の上を飛び回って、自分のやるべきものを探し求める。‘Et homo factus est’のところで聖霊は飛行をやめて、下に下る。この瞬間にこのモティーフは低音に現れて、自らいやしくして肉体をとったことが表出せられる。」
乙和池の上方にも霊が漂っており、霊と物質が不可分なまでに重なり合った存在として、乙和池があった。そして例えば天使が、その美しさ、その聖性ゆえに、悪魔以上に非人間的な媒体として描かれることがあるように、乙和池は神聖な空間だった。 * * * その後、私が乙和池について検索した結果は、同時代なら誰が検索した結果とも同じである。その中で、乙和池をなぜ生粋の佐渡の人であるお父さんが、「気味悪ぃ場所だろ?」という魅力的な言葉で表現したのか、結論を出したかったが、結局さらに謎が膨らんだばかりだった。 さらに一年経ち、グループ展への参加が決まったあと、展示用ステイトメントのため、村上ゆずさんにオンラインインタビューしていただいた。この時の約一時間は私の中でも自分の作品を反芻する貴重な時間であり、この対話のあと映像編集を再度したことは書いておきたい。 この時まるでカウンセリングを受けるように、滅多に話さない様なことまで素直に話したのだったが..(アセンション・リバーのコンセプトについて話したとき村上さんに言われた、「まるでビョーキですね..。冷静に話せるのがすごいですね..笑」でハッとしたのだが、その後にそのフィードバック的な自己嫌悪もあったほど..、しかし私は話を、考える力がある人に整理しながら真摯に聞いてもらえ、また自分でも発見があって、とても嬉しかった。) 私がこの乙和池以前に不思議に思っていたのは、富士樹海の落ち着く様な美しさと富士山のもとというセントラル性を例にすればわかるように、自殺スポット、あるいは心霊スポットとスピリチュアルスポットがしばしば同じものとしてあげられていることだった。乙和池に関する噂は完全にこの三重である。それについてはガス・ヴァン・サントのSea of Treeが、世界的自殺の名所、樹海を「生まれ変わる場所」として、やや肯定的に取り上げていたが、そのほかにも、「自殺スポット自体には悪い念があるけれど、自殺者が飛び降りる前、歩む場所には、清浄な力がある」などという意見もネット上ではあるが散見できたし、「スピリチュアルスポットは行かない方がいい。他の人の念があるから」などという思想?も、よく見られる。それらの憶測、真偽不明の迷信は、パワーの増減とか引力レベルの少し物理的な?理屈もあり、生まれることを納得はできる。 結局は、「人間は、美しい場所、強い場所に、惹きつけられる」という、ただそれだけなのだろうが、そのような、人を滅ぼすような場所の意味の二重性に、その時は不思議さを感じていた。そして、そういった人間の心、または心が感じとるものを表す的確な言葉が「幽玄」なのだとも、「ヌーメン」なのだとも思った。思ったが、名を知りつつも、いまだにモヤモヤしてはいた。 ..だが実は、なぜだかこの2ヶ月くらいで、「能」大全上下、オットーの「聖なるもの」、渡辺和子先生のメソポタミアの生死観についての諸論文、前述したようなネット上の色々な、顔も名前も知らない人たちの深い体験と意見、そして佐渡を再訪し、さまざまなスポットをロケハンに訪れることで、また精神的な意味でも「偉い」先生たちとお会いしたことで、歴史的な規模で人間を捉えることができ、それは疑問を持つまでもなく、"当然のこと"になっていた。そしてもちろんこの間に、私はミニチュアではあるが、大きな乙和池の浮島を、山井隆介くんが実作を担ってくれることで、自分で作ることができた。 結局自分は考えることで納得するのではなく、感覚が蓄積することで何か理解に至る人間なのかもしれない。 また、前述した通り、池田先生にもその後、乙和池について質問して答えていただくことができた。 そういったわけで、乙和池を作る必要性については、ゆずさんがステイトメントに書いてくださった通り、自分の体験を、展示の前に立つ人に再現するためであるのが「一人称」というものの関連で一番大きいのだろう。(でもこれは、ゆずさんに言ってもらってから気づいた。) 最後に、御嶽(ウタキ)について調べた時、既に神聖な域である道中に、戦争中に落ちた爆弾の穴があるというのを知った。 例えば、乙和池がそのように爆撃されたらどうなるのだろう....?と考えてみる。 「密林の下を移動する人間たちがヘリから見えづらいから、森全体を枯らそう」と、枯葉剤を上から撒いたことが名高く思い起こされる。 そのような単純な考えと、科学が結びついた時の力は(ある意味)すごいし、 殺人と共に自然の大規模破壊が行われたことを知るときの惨たらしさも人間が遠くまで来てしまった感慨に打たれる。 そのように乙和池が滅びようとするとき、聖なる強い力によって、乙和池は守られるのだろうか?そして壊したものは、呪われたり、罰されるのだろうか? 乙和池は、伝承の中の大雨も根拠となり、水辺への信仰が根本にあるという記述も見かけた。結果的には「この水辺が消えてしまう」というそういうことに過ぎず、ただ存在している水辺が武力には相転移しないのは当然のことに思える。しかしこの池は、長い間に踏み固められた道のように明らかな聖性を湛えており、人間が享受できる方が不思議という感じも、私にはむしろするのであった。 |
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October 2024
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