二時間程度の映画を焼く時、私のPCだと、二日程かかります...。 その辺のストレスはお金を払って解決した方がいいと思う一方で、編集をずっと詰めてやってきて、書き出す数日くらいは、何かに任せて空白の時間を作りたいような不思議な気持ちが昔からあります。 それはある意味土練りと窯焚きと少し似ている時間を待ちたいという感覚なのかなと、先日益子在住の陶芸家、宇城(うーたん・うしろ)さんのアトリエ兼ご自宅へお邪魔して思いました。 私は冬で固くなった粘土を体重をかけて捏ね、荒練り、菊練りと捏ね方を教えてもらってから、手ろくろで地道にコーヒーカップを。山井君はろくろでリム皿を作ろうと奮闘していたが姿勢から何からかなり難しそうだった。 この練りのプロセスは、その後の造形のしやすさにも影響してくるそうです。これを一日100個と作る...。相当な事だと思いました。 12月に窯の火入れをするため、その前に乾かす時間が必要なので少し前に形を作り、その後更に底の部分を削ります。(下の図参照)今回削りの過程はうしろさんにお願いしました。完成は15パーセント縮むそうです。 まるで遺跡のような窯。うしろさんはこの窯をご自分で数ヶ月掘り、造成されたらしい。 厳密な火の温度、薪の種類による灰の中の珪素や鉄の混じり方からくる色の違い、捨て窯を作ることによってできる、熱や空気の動き..、化学者のような言葉に、縄文時代から続いているような土着的な自然と密着した労働性、窯を信じる・儀式・祭り、といった精神性、さらには伝統芸能や現代美術的な文脈が、うしろさんの作陶の姿勢によって渾然一体となっていて、感服した。 しかも実際に近くには、縄文時代から人々が生活していた草原がある。 この窯をみて思ったのは、「しまった、すごい本物がいた...映画を撮る前に勉強に来るべきだった...」と言うことだった。今回「掘る」「縄文」「火」「窯」「儀式」、は間違いなく映画の中のキーワードで、そこを自分の想像だけでなく、更に本格的に出来た可能性について考えたのだった。 しかし、「でも、映画を撮ったから今ここにいるんじゃないですか」と言われて、そうだろうとも素直に思った。こう言うふうにステップアップしていけるのはたまらなく嬉しいとも。 それは一度扱うことができ、もっと掘り下げてみたくなったという興味の点でもそうだし、もっと縁的な扉がひらけたと言う意味でもあるのかもしれない。 うしろさんとも、もう十年近く前から知人で気になる存在ではあったけど、一番は、現代美術を通過した後で土に興味を持ち始めた山井君を会わせたかったと言う意識があり、自分もうしろさんに会うことができた。土着的で生活工芸でもあることと前衛的な芸術性の共存には自分の心にも響く道がある.....。
Nice Photo by Ryusuke Yamai
益子には他に、Art into lifeと言うオシャレなカルトレコードショップや色々な喫茶店もある。夜はスーパーで買い物をして火で焼いて食べた。 焚き火をしながら、苦手意識のあるダンスの身体の動かし方を教えてもらう。ベースはリズムの捉え方で、体の末端ではなくて、胸でリズムをとる。腰を日本人は本当に動かすのを嫌がるので、胸と腰を動かしながら、動きを拡大していく...。次はクンダリーニ・ヨガについて。生命エネルギー。これは次の日、ろくろで形を作る前に行う、回転の中で粘土を塔にしたりそれを崩したりして、上へ下へとエネルギーの波を作っていくような官能的な作業と繋がった。 毛嫌いする人もいるし、一方で最近はかなりコモディティ化してもいるけれど、私は西洋占星術オタクでもある。グノーシスだと惑星も偽物の神様が作ったものだけど、まさにだからこそ、何かあの動きに私たちをとらえる意味があるのではと思ってしまう。グノーシスについての説明を読むたび、自分は「仏教じゃん」と思って、よく知ったものが結局真理であったと言うような、やや残念な気持ちになるのだが、解脱もそうだけど、時間や歴史や感情から私たちが抜け出た時は、私たちは私たちと同じものなのだろうか?...と言うのを、AIも含めて最近ではよく考える。 西洋占星術ではVestaと言う小惑星が、火を護る人を意味するので、元消防士で、陶芸家のうしろさんのこの惑星の位置がかなり気になっていたのだが、やはりと言うべきか、太陽(人生の方向性であり一番重要な星)と合(同じ位置)だった。これは占星術的には、生き方にVestaの象徴が混じると言うことを意味する。 二日間、朝起きると陽射しの移り変わりを感じながらキッチンでコーヒーを飲み、話が途轍もなく壮大な方角へ向かった。まるで誰もこれまで知らなかった世界の神秘を片隅にいる三人だけで人しれず解き明かせそうなエキサイティングな時間だった。それから外へ出てローカルなお昼(益子はトンカツが有名だけど、猪鍋のあるいろり茶屋と、手打ちラーメンですごく素朴な味わいのあるぎおん、へ今回は行った。)を食べ、と言う健康的なルーティンが出来ていた。 私はこれまで、無意識にではあるが、いつ死んでもいいような気持ちで生きていたと思う。朝四時まで作業をし、ご飯はケーキとキャベツとシーチキンとコーヒー20杯、、みたいな生活が、十代から三十代のほとんどだった。山井君と暮らし始めてから、これからの年齢を生き延びていくにあたって、「命を大切に生きる=サステナブルな人生」のための、これまでの生き方の全否定とも言えるほどの、多くの問題点が浮上した。うしろさんもやはり、ご自身の人生で、それでは生きていけないと感じるタイミングがあったと聞き、参考になった。これは奥野美和さんとも以前話したことで、自分の命を燃やすような激しい表現性と、成熟して生き延びることの両立をしていくことは、難しいけどきっと出来るしそれによってもっと広くて深い作品を作れると言うこと。 自分の場合は、数々の失敗を経て、陶酔と幻滅がセットであるからただの幻想は要らず、しかしたまに本物の奇跡があって、その驚きにしか興味が出なくなってしまったのもある。 少し前に読書会で『ジェンダー/セクシュアリティ』を読み終えて、ミッテランとデュラスの対談もその頃読んだ。二人は第二次世界大戦中、レジスタンスの同志だったらしい。バタイユとヴェイユも恐らく政治活動を通して関わりがあった。結構みんな会ってるんだなと不思議な気持ちにもなる。以前も書いたけれど、自分は横の繋がりの意義がはっきりとはわからない方だ。でも、前述の人たちの人生の交わりがその後に全く影響がなかったとは言い難い。私とうしろさんの繋がりはどうかというと、現代思想家のBangi Abdulさん繋がりではあるけれど、同時に細倉真弓さんとうしろさんもご友人だったりして、アンダーグラウンドなサブカルチャー界隈、と言えるのかもしれないけれど、同時に濃淡はあるけど神秘主義で、現実主義で、エレメンツが大事でもある。 滞在中、三人で話す中で、『ジェンダー/セクシュアリティ』での知識が役立ったところがあった。人間ではそうなので同じと思いがちだが、多くの生物にとって、セックス=生殖ではないと言うこと。生殖のためにセックスをするのは人間とか、複雑な生物だけだ。本来の意味はおおよそDNA修復といえ、ウィルスにとっては他のDNAを取り込むことで、己が若返る(自分が自分の子供になる)ことができる..... しかも、それが太古のDNAであっても。でもこの話が、どんな話の前で後だったろうか... 植物のような内在的性=眠り、こそが、生命の本質であって、活動とは何か...?熱について.....恒星の最期について..動いていなかったものが動き始めた瞬間について........明晰夢について。これらのことを、三人はそれぞれ持ち帰って、自分の作品にしていくのだろうね、と山井君は言っていた。 昨日からうしろさんは、窯の火入れと、NYで行われる個展のための制作を開始されると言う事だった。今年ももう終わりだけど、1日1日が同じであり、同じでないなと感じる。
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October 2024
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