「ロシアを全滅させようとする者がいるなら、それに応じる法的な権利が我々にはある。確かにそれは、人類と世界にとって大惨事だ。しかし私はロシアの市民で、国家元首だ。ロシアのない世界など、なぜ必要なのか」 引用元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60554540 今、明日、早朝に佐渡島へいく前泊で、新潟にいます。 大まかに分けると反対の陣営にいる自分が、虐げられていた人々の救済、という名目が掲げられている侵略行為を、判断するには情報が偏ってるんだろうな..と思いながらも、すでに上記ドキュメンタリー内発言だけで、十分、核や、世界に影響を与えるような暴力を行使できる立場にいてはいけないタイプの人なんだな、という判断はできた。 この論理と今の長い権力体制や原発を攻撃したりの戦い方を重ねて考えると、「ロシアがない..」どころか、「わたしのいない..」世界など、なぜ必要なのか、という意味にも思えてくる。そしてそれをできる立場にいるんだなぁとも。 今みんなが感じているものを、居心地いいと思っている人はいないだろう。 記事を10個くらい読めば、その中で歴史のストーリーはつながるけれど、最終的にはよくわからない戦争。でも戦争はそもそもよくわからないものなのだろう。「一番儲けている人を疑え」という説もあるけど。(地球を五億人にする説も知っている)。でも、お金よりも表の権力よりももう少し何か世界を動かすものはあるんじゃないかなぁと思ってきたけど、やっぱ権力やお金しか「偉い人たち」にはないんだろうか?? ゾルゲの映画を観、憧れてKGBになった、ずっと、夢の中に生きている人なんだろう。もう、ロシアの終身トップであること以上の夢を「権力で」見るとしたら、こういうことをするしかないのですね。ロシアの人は、世界を救済しなければいけない感覚を持つ、というようなことを、ドストエフスキー?が言っていると確か埴谷雄高が言ってたような...。確かに例えばタルコフスキーの映画は、そういった使命感だけで、ロシア的自然が支えなければ、話自体は中二病的とも言える。しかし彼は使命感到達のプロセスとしては、権威は使わない。蔑まれる狂人、乞食のような聖なる人であるユロージヴイや、ルブリョフ(いくつかある一番好きな映画のうちの一つ)を理想とした。そういう逆三角形のような大きな夢もロシアにはあるのだろうなと思う。 .......しかし、ウクライナはアメリカもNATOも直接的には助けていないにもかかわらず、大統領が亡命を拒否して戦い続けることを選んだことにより、士気が上がり、少ない兵力で善戦しているという。ウクライナでは母が銃を持ち、おばあさんが箒でロシア兵を追っ払っているのだという。ロシア兵のモチベーションの低さもあるのだという。自分はこういう話にどうしてもグッと来てしまうのだが、戦争と勇敢さを結びつけて、善玉悪玉を作っていては、永遠に戦争は終わらないだろうなと思ってしまう。 もう一つ思うのは、自分は日本というこの土地自体を守るために残るのかと言ったら、亡命できるんならすると思う。(ただ、自分の両親は公務員だったので、3.11で原発が壊れた時も、「避難しよう」と言った私に、「公務員だから最後までできないよ」と言っていた。自分はそれは尊敬した。使命感で思い出すのが、ニューヨークでキッズシッターをしたときの気持ちだ。子供がものすごく大きな木にどんどん登って行くので、私はもし彼が落ちたら、自分が死んでも自分の体で助けよう、と本気で思っていた。つまり、国土を守るべきものと思えば、あるいは国土を守る役職についていれば、私も自己犠牲が転じて戦えるのだろうか。国は守るべきであると思う。文化も、人々の平和も脅かされるべきではない。大切なものを守るために戦いたい気持ちもある。 台湾、日本が中国に侵略され、戦争になるだろうという話もよく聞く。アメリカは助けないのだから、第九条を考え直した方が良い、核武装したほうが良いという話もよく聞く。 原子爆弾、核兵器、放射能について、これほど考えてきた国も、ある意味リードしてきた国もなく、それは間違いなく誇りだと自分は思ってきた。(実際はアメリカの後ろ盾があったにせよ) 原民喜も竹西寛子も黒い雨も鏡の女たちも好きであり、こういう言い方をしたくないが、前時代の在庫処理みたいな感じがものすごいする。 竹西の小説の中で、男の言葉で、原爆が落ちた黒焦げの土地から、しばらくすると、植物の芽が出てきた、その生命力を見た時、「思い上がるな、人間たちよ!」と叫びたくなった、というものがある。私はアメリカではなく、この「人間たちよ!」という風に言うのがすごいなぁと思った。そして、小さな芽の生命力というものによって、叫びたい気持ちが沸き起こるというところが。 一度、大量の「在庫」を爆発させ、人々を、蒸発させ、地球を、不毛の地にするプロセスが、人間には必要なのだろうか。 私は10歳に満たない友人がおり、彼女らはそのプロセスを経ても経なくても、肉弾戦みたいな戦争をしなくなる人類になるのではと思う。彼女らは、不毛の土地でも、もしかしたら科学の力で生きていけるのかもしれないけど、もうそういう歴史は完全に蛇足だった、ナガサキで終わり、で良いのではないだろうか。 自分は、ある意味では、日本についての映画をずっと作ってきた。今もそう。ただ、私にとっては、何か破滅的なイメージが常にあり、最悪、日本がなくなっても、日本(日本国民というわけではない)を残したいという気持ち、とも言える。 先月は、佐渡金山についても、相川のゆかさんと毎日話していました。ゆかさんは毎日金山神社にお参りに行っている。私は確認したいことがあるので、また紹介できていませんが、佐渡今月2回いくので、一度それ関連でも調べたことを書きたいです。 --- 最後に、今のところの私の考えは、外交で、資本主義的な力で、「2023年終わるまでどこの国からも侵略されないように持ち堪える」、です。そして、どちらかといえば、「新しい生命(AIでも、人工生命でも良い)を作る」方向性に力を向けたり、第九条で注目を浴びて答えの出ないことを2023年までの間にするよりも、国内の水とか、食べ物とか、サイバーダインとか(笑)、そういう方をちゃんとやったほうがはるかに良いだろうと思います。 ロシアの様子を見て、すぐ攻めやすいと思うとは思えないけど、今回権力者と自分の求めるものや思考回路が全く違うことが分かったので、反対かもしれませんが笑 少子高齢化のことを考えたり、自分も含む一般的な日本人の(場合によってはいわゆる右翼の人ですらの)愛国心的なものや、ずっと平和だったことを考えると、ウクライナのような形の強さは日本人は持てないし、持っていないと思う。台湾にはアメリカやヨーロッパさえ10年も追い付かないような半導体の技術があり、日本には何があるか。それを、企業に私有化され、ぜんぜんコンパクトじゃなかった予算と実態の差がすごい東京オリンピックと、その後の北京オリンピックの後で、考えています(映像関連では答えが出ていて、それは普通ですが、アニメとゲームです。でも、ローカル、マイナー文学であれば、なんと言っても、短歌です) 最終的に最近考えていたことがごちゃごちゃになってしまいましたが、これから、人はモノを所有せず、国からモノを借りる体制になるというような話もすごく面白いですね。プライバシーがなくなるとか。私は今の方が絶対にいいと思います。
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September 2024
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