シナリオを読み返していて、結果的には撮らなかったのだけど、違う形で映画の中に現れている気もする、と思ったシーンがあったので以下に掲載。佐渡の夜は真っ暗なので、自然の得体の知れなさに、ザワザワする感じがあって、車に乗るのもとても印象的だった。こういうシーンいつかまた別のところで撮りたい。 こないだマツモトノゾムさんのDJで知ったRATNの、『わらうだけ』という曲の中にある「タイムマシーンには乗らないの 笑うだけ」という歌詞にすごく共感した。 ツジコノリコさんの歌詞の意図とは違うかもしれないけど、私は、強さを感じたというか。今仮で、クレジットに当たるところに好きな音源を付けさせてもらっていて、相対性理論の『わたしは人類』もいいかなと思ったのだけど、わたしは人類の歌詞の中では、そのパラドックスが真実でもあり良いところだと思うのだけど、進化を止めてなのか、止めないのか、断定はしていなくて、一方『わらうだけ』は、何度も何度も、タイムマシンには乗らない、と乗らなくても笑うだけで、どこかできみがいまわらうだけで、と繰り返す。そこに凄く人間の非力さと意志(...愛、)の力のギャップがあり、ドラマティックに映った。(相対性理論もファンなのですが。) このシーンで、荒井牧師は、バングラディシュの教育と縁があって、昼に幸に起こったミステリアスなエピソードについて話し、その詩を引用する。 人生の一つ一つの選択や起こった出来事とともに生きていく意味もあったし(マルチバースとかで、違う世界線だったらみたいな考え方とは反対に)、解決主義的な考えとか、タイムマシンがあれば乗るし、火星へ行ければ行くし的な科学進歩反対という意味もあった。 シナリオは、ガッツリ書く時でも、常にリハで役者さんに読んでもらって、個人的なエピソードを持ち寄ってもらったり、個性的な言い回しを反映させながら書いています。インタビューをしてそのままのエピソードを即興で話してもらって、それを編集するなども。 単純に私のコミュニケーションスタイルがそうで、そういった他者の探求が映画制作の醍醐味であるのと、前回のポストで書いたように、マイワールドの探求だったら文学でできるわけで、折角映画を撮るならば、もっと皆の思想とか存在性が入り込むような映画を提示したいというか。最終的にはFINAL CUTは絶対自分でやるのですが、一番大きな答えを出したいとは思っています。 今回は、妥協なく撮れた。それは親身になって、真摯に参加してくれたスタッフや、なかなか出会えなさそうなキャストや、場所や人やエピソードの紹介など惜しみなく協力をしてくれた佐渡の方々の力だと言うのは間違いない。あとはコツコツやって、完成させたいと思う。 コスモ・コルプス第24稿 荒井 「あら、太鼓の音が聞こえる。(周りの人に)聞こえるよね?」 みんな、聴こえる聴こえないで意見が分かれ、聴こえる人が多くなる 幸 「わたし聴こえない(耳を澄ます)・・」 三村 「聞こえるよ。…ほら今、今、ドンドン、って聞こえる。あっちの山かな。秋祭りの練習かな?・・あら、雨の音も聴こえてきた。」 SE:雨の音 S23.車内・夜・外 眞理さんに送ってもらうユキ。(リアプロジェクションで停車したまま撮影。) 車はさっき雨が降ったので濡れている。 荒井牧師 「(一度ワイパーを使い)そういえばね。(例:今日午前中に、ある女性のところへ行って選挙の話したんだけど、その人ね、普段はものっすごく現実的なのに、『選挙..?だって2023年に世界が終わるんでしょ』なんていうのよ。)」 幸 マヤ文明とか?ノストラダムスも小学校くらいであったなー。そういうの流行ってるのかな。 荒井牧師 「(答える。例:1999年ね。実際世紀末みたいな大変な事件がたくさんあったけど…)」 幸 「(冗談めかして荒井牧師を覗き込み)世界、終わっちゃうんですかね?」 荒井牧師 「(答える)」 幸 「終わるなら、私もう一回旅したいなぁ。カイチが大人になってから、って思ってたけど、うかうかしてらんない。」 荒井牧師 「家族みんなで行けばいいじゃない。」 幸 「(苦笑い)… 荒井さんは何をするの?世界が終わる日。」 荒井牧師 「(ふと、学生時代の話について話す。例:…ふと今、思い出したんだけど..。私がまだ学生だった頃にね、友達に、一つのものを半分にして、そのまた半分にして、小さく小さく小さくしたら、いつかなくなっちゃうんじゃない?って聞いたの。でもね、その子は、大丈夫だっていうのよ。半分にして、半分にして、どんどん半分にしてっても、まだ最初の半分が残ってるから、って。(笑う)」 車が止まる。 幸 「(降りながら)それは、希望がある話なのかな?」 荒井牧師 「わからないわね。おやすみなさい。」 幸 「ありがとうございました。おやすみ。」 車に一人乗り、再び走り始める荒井牧師。 荒井牧師 「(ふと独り言のように) Yadi ganga ujan bahe Tabhohon tohmar bol nah (河が流れを遡ることがあったとしても わたしは「はい」とは言いません。)*.....এটা একটা অদ্ভুত গল্প(不思議な話ね)」 *チョルジャポドを除けば最も古いベンガル語文献と言われるボル・チョンディダシュ(Baru Candidas, 14c)の「スリクリシュノキルトン(Shrikrishna Kirtan)」から。
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AuthorFilmmaker Archives
October 2024
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