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近況・お知らせ・意識の流れと記憶屋列伝2

2/27/2023

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◯前々回のブログでご紹介したSheena & The Rokketsのドキュメンタリーの長編バージョンが、3月17日から始まる、「TBSドキュメンタリー映画祭2023」(ヒューマントラストシネマ渋谷)にて上映されるそうです。私は一観客なのですが、初日3/19には三人娘のじゅんちゃんたちの舞台挨拶があったり、ライブシーンも大画面で見られると思います。東京会場のみだそうなので、この機会にぜひ!
『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』

https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/



◯映画の方でもイベントのお知らせが近々ありそうです。



◯新しいウェブサイトなのですが、私が見切り発車でケータイ、タブレットサイズを調整してない段階で出してしまって、今また非公開にしてあります。。!
近々イベントのお知らせも含めて更新できたらと思ってます。
https://yoknahasegawa.com


目標的には、すでにある作品、例えば「イリュミナシオン 映画」等で検索してくれた人が辿り着くサイト、情報ページになることですが、こういうのの真正性がGoogleの都合っていうか、機械的なトラフィックに左右されるのっておかしくないかとよく思います。やりようはあるのだろうしそれを面倒に思っちゃいけないのでしょうが...わざわざ閻魔さまの前みたいに証明しなくちゃいけないのが精神的に辛いですね。

自分としては野良の方が自由にやりやすいし、隠れている方がいいし、わかってくれる人はわかってくれる、探してくれる人は見つけてでもくる。というのも真理だと思うのですが、一方で自分もそんなに情報に敏いわけではなく、映画を見たらきっと何かを感じてくれる、という人と出会う道筋を用意できてないのは制作者としては反省があります。

まぁこちらも、じわじわやっていこうとは思っています!


あと見切り発車という意味では、私はオンラインに一度記事を出してから推敲したりしてしまっているんですが、前回の記事も結構変わりました。🙏
記憶屋列伝1
www.centralgame.org/diary/7562712
​
◯最近は、「コスモ・コルプス」の編集をしていた。


今回は音声のことを考えずにカオス状態にした後、映像だけで編集した。
その方が映像原理での考え方や、シンボル操作ができるかなと思ったからだ。
しかしむしろ、ストーリーが私の中では一応あるし、音の次元での繋ぎがないので、なんというか、保守的な編集に。サイレント映画が表情をわかりやすくしているような感じです。時系列も、脚本のまま。

それだと心をあまり打たなかったので、どうしようかと思っていましたが、
抜粋映像を作る。
そうするとストーリーや脚本じゃなくて、結果的に「撮影された映像」やその集合が持っている、原理がわかってくる。
今回もそれをやってみてやっと呪縛から解き放たれた部分もありました。

全然関係なかったはずのショットとショットが響き合っているというのは、無意識に撮っていたものの共通点や、自分が持ってるものとは全然関係ない映像自体の化学反応の奇跡を目の当たりにすることにも繋がり、エキサイティングなことでした。

ここからが編集の本番ですが、次は音声を、手作業で全部コラージュしつつシンクロさせます(シンクする効果もあったけど、自分の場合はテイクで音声と映像、違うものをわざと使ったりするので...........)
​
もう長い長い根気のいる作業で、一方で一度始めると早朝までずっとやっていたく、それこそ日常生活や他のことが完全オフモードになるので、面倒、そういう人に変身したくない、本当ギリギリのタイミングが来るまで踏み込みたくない......という気持ちもありました。

今は、もうスタートしてしまっている感じがします。




◯写真家の細倉真弓さんと、バージニア・ウルフの『灯台へ』の読書会をスキマ時間ですることになった。岩波版を手に入れ、KINDLEでほぼ無料で英語版テキスト、audibleがあったのでダウンロードする。
今のところモチベーションが同じくらいあってバージニア・ウルフ専門家ではない二人でまず、スタートするつもりだけど、そのうち発展していけば良いなと自分的には思っている。

実は私はこれまでバージニア・ウルフの作品や人生についての情報を通ったことがなく、パッと読んで「意識の流れじゃないじゃん」と思って終わっていた。

私にとってすごいと思い没入感のある意識の流れは、ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』のベンジーの章で、同じような文章を探して読みたいと思っても、存在しない。


旗は赤くて、牧場の上でばたばたとはためいていた。すると、一羽の鳥がその上にとまって、体を斜めにかしげていた。ラスターがなにかを投げた。旗は光った草と木の上ではためいていた。わたしは柵にしがみついていた。
「そんなにわめくじゃあねえってば」とラスターがいった。

----

「あんたキャディをお迎えに来たの」と彼女がわたしの手をこすりながらいった。「なんだっていうの。何をキャディにお話ししたいのよ」キャディはまるで木のような、そして彼女があたしたちは眠っているのよと、いう時みたいな匂いがした。
なにをそんなにうめくだよ、とラスターがいった。小川へいきゃあ、またあいつらが見られるだよ。ほれ、朝鮮あさがおをやるだ。彼がわたしに花をくれた。わたしたちは柵をくぐって、囲い地のなかにはいっていった。
「なんだっていうのよ」とキャディがいった。「なにをキャディにお話ししたいの。」



この場合、イタリックの斜字は、別の時空間がベンジーの把握している時空間(現在)に突如として入り込んでいると自分は捉えて読んでいます。


またこのベンジーは外からみると、知的障害のある人物であり、実際にはうめいていたり、周囲とのコミュニケーションが困難である様子が示唆されている。けれど、ベンジーの内面世界で確かに反響しているもの、それが知性でも感情でもないかもしれないにしても、確かに個人的な何かによって選択追憶し現実生成していることが、その意識、心の中が、この文章では読める、という不可能なことが実現しています。(個人的には感情と捉えて読んでしまってますが)

そこでは感覚の始まりみたいなものが絶え間なく繰り広げられていて、誰かの言葉がベンジーの中に入ると、20年前の誰かの言葉と並ぶ。それを読むともうもの凄いノスタルジックで聖なる感覚があります。
一度失われたはずの時間が、ベンジーの中で完璧に復活するのです。


(同じ匂いを嗅いだとき、同じ色を見た時、またはなんとも言葉にできない瞬間をトリガーとして、過去の記憶が現在に入ってくる、プルースト的なことがベースなんだと思いますが、フォークナーは記憶という範囲よりもっと広い。なぜならベンジーにとっては、それが記憶とは判断されない、現在時なのだと思うので、時空間が入り込んできている。)

この時のベンジーの「わたし」という主語の感覚は本当にすごいなと思います。
全然違う時空間の統合者という意味でも、わたしが世界に純粋に生まれ続けているという感じでも。

ただ、これに自分が共感する理由は簡単で、自分で普段世界を感覚している仕方とものすごい近いです。フォークナーの「私は白痴のために書く」という言葉があるが、私も本当に白痴なんだろうと真面目に思います。
この旗で始まるところなんか、まるで撮られた映像で捨てられた部分みたいで、主体がすごく空洞で、見ることの目的がない、だけどやはり誰かの視点で、世界の動いているどこかを、誰かが見ていた、ということに、感動します。


前回の「記憶屋列伝」にも通じるものがあるけれど、いろんないろんな瞬間が「ベンジーの中」にあって、それは「純粋記憶」というほどの場所で、誰も知らないし、決して判断されて変化しない、そして消えない。それはベンジーが世界に存在し、感覚することで、ベンジーの世界意識の中で流れ続ける、自分にとってはこれが「意識の流れ」でした。(一方、翻訳言語の質に惹かれてる可能性も無きにしはあらずと思っている。私が読んだのは高橋正雄の訳。)

以前、写真のシャッタースピード(カメラが写真を撮る時に吸収する時間のながさ)を長くすると、明るいところで撮ると真っ白になる時があるが、「時」とは元々こういう真っ白なものものなんじゃないかと思いました。仮にそれを海として、それが川として流れ始めると、それが時間で、絵として映るようになる。この話は、今思い出したのですが、上の話とはあんまり関係ないかもしれません。でも、ウィリアム•ギブスンの「記憶屋ジョニー(Johnny Mnemonic)でも、最後はCondensation that drips from the geodesics(ジオデシックドームの結露からの滴り)を「聴く」シーンがあって、このイメージも書いておきたい。




一方で、ずっと、バージニア・ウルフの小説はきっと同じくらいのすごい瞬間か、感覚があるはずで、私が理解できてないのだろうということは感じていて、今回改めて調べたら、抜粋的な文章でも琴線に触れるものがあった。
というか正直、彼女の遺書を読んでしまった。なのでリアルタイムで読んで理解する意味とは違う、色々な奥底にある感情との関連付けが始まってしまっているという部分もあってなんとも難しい。しかしその決定的出来事のある世界線以外の可能性にも意識を向けつつ読みたいとも思っている。自殺しない世界線がハッピーエンドだ、とは単純には思っていない。if でもdoneでも、意味が圧縮されないようにしたい。

図書館でたまたまとか、学校で課題になったから読んだ本が、何か不思議に迷い込んだ道の記憶として残っているように、縁のある本になりそうだと感じている。

また私と真弓さんでは当然一つの文章を読み、感覚することも、理解することも違うだろうから、そういうことを勉強会の中で知って考えや感覚の仕方を深めていけるといいな〜と思っている。



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    ▷TĚLOPLAN『THE PAPER』《恬静 IDYLLIC DRIFTERS ISSUE》での細倉真弓さんとの対談

    また、その出版イベントでの映像展示

    ​会期:3/10(金)- 3/21(火)
    会場:3-9-12 HIGASHI
    時間:12:00-20:00


    ▷new websiteができました!
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    ▷今月の本:
    『月刊 鮎川誠 STAY ROCK 第二版 vol.3』
    鮎川純子 編

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    ​INTP・XX・Haplo G(mDNA)

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