最近は自宅で過ごすことが多いのもあり、絵を描いています。完全に芸術肌であり知そのもの(故人も含め)の方々と対話することが多く、ギリシャ科学からの伝統を、一歩一歩、指についた絵具を蝋燭の火のように照らしながら遡っています。霊性の強い人は、早く死ぬか、何らかの「浄化」の役割を果たしながら生きるかなのだと思うが、自分の馬鹿さ加減とか、かっこつけていると転んじゃったり、顔に絵具がついたまま外へ出てたりするところ、そういうところが、最終的には自分を生の方に繋げているのだなとは思う。ただ生が多くの混沌の贖い合いだとすれば、前述した浄化している人たちは、表面はマットでも、内面では動的な作用反作用が渦巻いているのだろう。というかみんなそうだろうか? 人々が張り裂けないように、ヒントは、現代的には禁止、あるいは忘却されている領域に散りばめられている この私たちを構成する粒子のすべてほど膨大に キャプションは、鬱陶しいと思いますが、SEO対策です。あしからず。
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AuthorFilmmaker Archives
October 2024
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