*前の投稿の最後に近況の一つとして書いていたものが、繁茂したので、とりあえずここに株分けしておこうと思う。宗教に関しては、これまで何回も書いているが、 それが善に関わるものであるのにタブー的なものであること、 なぜならそれがエモーションに繋がっているから、非合理的=反科学的、であるから、 また善の定義それ自体の難しさ、 その善が社会的に歪んだ解釈になって、集団的な、または個人の内面的な縛り、抑圧になる可能性など、複雑で面白いなと思っている。 もちろん難しい話題であることはわかった上で私個人は宗教性とは、インテグラルな生を生きるための、現代においては唯一の方法で、同時に宗教そのものだけではなく、あらゆる種類の文化や生活の瞬間に断片的に散らばっているものだ。 だがそれだけではその感覚は散逸し体系的にならない。その世界とつながる瞬間を体系的にしたものが宗教であり、私はその時代時代に必要とされた文化的表面的なそれよりも、心や実践そのものに興味がある そしてそれはよく言われるように許すものであり、どんな罪や痛みも受け入れるものであり、開放的なものだ 私の方法としては、全て自分の判断を爼上(つまり文章内)に自由想起的に出す、という形をとっていて、批判も隠していないけれど、基本的に宗教心は非常に尊いし、これからの時代、もはや人間のためのものでは無い細胞が非常に多くなっている科学、に負けないで、バランスを取りながら宇宙空間を動いていくためにも大事だと感じている。 --- 最近、南アフリカに住んでいる方たちと話す機会に恵まれ、同時に石の信仰の力を帯びた、山にも上り、宗教についてさらにリアルに考えるようになった。 まず一つ言えることは、私が留学したのが西欧圏だったのなら、間違いなく、実際に信仰を持ちたいという願望にすら、気づかなかった。私は、マカオのEvadeのメンバーたちや、マカオの元癩病患者の方々の隔離施設の横にあった教会というよりも廃墟の部屋にあった、明らかにキリストの形にしか見えないぶら下がった蔦と棒や、ベトナムの教会の前で熱烈に祈っていた人々や、フィリピン人の人たちを通して、信仰を持っていない自分を、疑問に思った。(また、その他の現世利益的な、古典的でない宗教には叡智がそれほど感じられることもなかった。無神論者の人が論駁できる感じの宗教という印象であった。キリスト教には何よりも新旧聖書があり、2011年の震災の際初めて読み通したときから、世界や人間を非常な深さで的確に描写している、という感想を抱いていた。同様にイスラム教にも興味を持っているけど、近くにムスリムがいなかった。)言うまでもなく、植民地化と言う目的とは切って離せない状態の、さらに言えばアジアの、キリスト教である。彼らも、それらの歴史を知らないわけはないはずなのに、その信仰心は篤い。中国のことは敵対視する一方で、ポルトガルやスペインに対しては、自分の血の中に彼らの血が混じっているという時に顕著な、何か敬意や誇りが在るような雰囲気すらした。そこには西欧圏に対するアジアの人たちの見方や、もしかしたら自己のアイデンティティ認識を正当では無いものにすることに一役買ったかもしれない、信仰心というものの複雑さがあり、私には、その火水を潜り抜けた心や行いの方が、ずっとリアルだった。 ーいやしかし、今改めて考えるなら、それは同時に非常に単純でもあったのかもしれない。 南アフリカの人と話して、当たり前だが、彼女にはアジアの人が持つ可能性のあるような、西欧圏の人に対する「憧れ」に似た感情がなかった。支配するものがしてきたひどい行いをそのまま見ていた。アジアはそれに比べると非常に受容している印象があり、現実と切り離した宗教心そのものに陶酔することができた。私にとってはある意味では無菌室のような理想的な環境で培養された宗教心であり、本質的とも、リアルでは無いとも言えるかもしれない。 彼女はケープタウン在住で、その方は信仰を持っていないこと、信仰や宗教についてはセンシティブだから話したくないこと(この感覚はもちろん予想できたが、これほど気まずいのを不思議に思った。)を聞いた。その人はそう言いながらも、「私はアフリカの伝統的な文化を持っていて、神を信じない、高次の力も信じない。信じるとしたら、死んだ人々、つまり自分の祖先だけだ、」と教えてくれた。(何かを祈る際には?)家族だけで儀式も何もしないとさらに続けてくれたので、お坊さんなどはいないのか?と聞くと、僧とか牧師は信じない、教会には行かないから。と言われた。 この時、奈良の天河村で聞いた話がふとフラッシュバックした。天河では、お葬式の時に、お坊さんを呼ばない。確か、天河経典というものがあり、それを唱えるのは村の女性たちだけだ。一番年上の女性がお坊さんが行うような役割を、読経の際にする、など。そう言ったことを聞いて、私は好感を持ったのだった。 (メモ:彼女が高次な力を信じないとしたら、死んだ人たちがどのような形でアクセスできうる存在として残り、もっと言えば、何処にいるのかなど、非常に興味深いが、すぐには聞けそうな感じがしないのが残念だ..) そしてもう一つ思い出す、一人の男のフィリピン人の先生が言っていた言葉、「原始的な人々は無知だったために、石や自然を信仰していたが、その後、神を祈るようになって、啓蒙され、やっと人間的な生活ができるようになった」....を聞いた時に感じた、直感的な違和感。 この人は男性的な面を誇りとするタイプで、上昇志向が強い発言が多く、その方向性でトランプ大統領がすごく好きな人だった。ただ別の男性の先生は、「子供の時のように魚を海で採って生活できてればいいけど、それじゃパソコンとか(自然には無い商品)が買えないから働いている」、などと言っていて、しかし逆に、「信仰心は自分はそんなに無い」と言っていた。 私-この質問はすごくトリッキーです。天国に必ず行けるなら、教会に毎週通うか...。私には宗教心はそう言った目的とか、メリット的なものではなくて、.. 彼女-そうですね。天国を信じるかどうか、天国とは何か、という定義も必要になってくるしね。 (南アフリカ在住の方との会話) つまり、やはり当然であるが、宗教心の一部は、エゴに近い向上心と繋がっている。 そのエゴを捨てるために、苛烈な否定、散華が必要だった。 ただ物理的に満たされるだけの人生は、どこか嘘っぽいのだろうか。あるいは、避けようの無い体験が先にあり、そこから閉じない傷がブラックホールのように存在にできた結果だろうか。 またシモーヌ・ヴェイユのテキストを何人かのフィリピン人の先生とシェアし、みんな理解しようとしてくれていたが、ピンと来ていなそうだった。つまり、私は彼女らが語る神に非常に感銘を受けたし、日本では話せない層の話を、もっと聞きたいと思った。しかし、最終的に私が一番感動したのは、シモーヌがカトリックじゃなかったことだったことは前述した。(何回か前の日記) 結局は同じ宗教の中でもバラバラで、別の宗教に対する心同志でも、実は同じ真摯さを持っていることがある。私は大人になってから、こうして、自分の信仰心について色々考えて、決定する権利を享受している。 私自身はいろんなレベルの信仰心そのものとか、存在が生まれた理由、根源、真理、などに興味があるのであり、そしてそれは言葉で言えば、「至高」と、それとの繋がり、などと言えるもので、どちらかというと本当に概念に近い。 自分が概念に与えうる可能性次第で、それは伸び縮みする。 それに加えて人間としてのエモーショナルな温度も少し帯びさせたような、イエスや使徒たち聖人たちの物語も琴線に触れるものがある。「「典型的人間」としての白人化」されていると知りながら。 さらにその対象は、どんなに愛しても、全く問題はない。宗教心の素材の一つは、人間の「愛」だと思うが、これを人に本気で当てると、それは攻撃にすらなり、歪むかもしれない。神、が自分の中にいれば、その持て余す大量な愛を、投射することが可能になる。神は、愛のブラックホール的な面があり、そのブラックホールは、愛を無に返すかもしれないし、または何か別の場所、別のものにする素材とするのかもしれない。もちろんこんな純粋な話で終わるばかりでは無いとは思うが。 それが私にとっての神であり、その神を意識して、実際に中に入り込もうとしない限りは、こんなに宗教についての話を気まずさ、痛みと共に感じたりはしなかった。完全に傍観者であったろう。 実際、巨石信仰は、私には近いだろうし、わかる気がした。どの教会へ行くよりも、不可解で不合理な気持ち、畏れを、その自然の中にある際立った時間そこにただ在る無機物....に、感じるかもしれなかった。ただ、それは言語化されておらず、することもできず、そこにはわかりやすい体系化された道筋はないかもしれない。だから、ある意味で一番「わかりやすく」案内者がいたという意味で「開かれた」宗教がキリスト教であったから、それに従おうとした、ということだろう。 前述したケープタウンの方の論調には、少なくとも前回は、排他的な感覚..異なる宗教、信仰を持つ人間とは、その点に関しては分かり合えないから話さない、というジャッジがあった。それは、「宗教性」の本来的な意味と反する現実だなと思う。でもそういう人も、何回も顔を合わせていくうちに入り込める時もあるし、壊滅的に気が合わない状態になることもあるし。 あと「繋がりがあなたの創作の動機か?」と聞かれた話も興味深かった。当たり前といえば当たり前なのだが。確かに、SNSを含めて、あんまり関わる人が多くなると、シャットダウンしてしまう傾向がある。昔から何度も何度もこの手のリスタートをゲームのように繰り返している。でもなぜそれを他の人がやらないで済むのかわからないほど、自分にとっては自然なことでもある。ネットがリアルな社会と繋がって、広告装置になって久しいが、本来はもっと匿名的でフリー(金銭的な意味でも)なコミュニケーションのためのものだった。匿名的だからこそ表現できること、受け止められることがあると思うし、私にとってはどちらかというとそう言った自由な表現の場がインターネットであった。だが色々事情が絡んでくると、プロフェッショナルに見えるようにジャッジしたりコントロールしたり、と、本質的ではないことばかりが増えてくる。インターネットは子供から、大人の世界に、映画以上に急激に老け込んだ印象だ。私は無意味なことを本当にしていきたいと思っている。 だからと言って、繋がりたくないのか、というと、本当の意味での繋がりは求めているのだと思う、と思えた。数ヶ月前にムージルの「私は存在しない読者のために書く」という言葉を知った時には、確信できなかった感覚であった。おそらく受け取る人との「繋がり」こそが、確かに私にとってもまた、最も大事なことの一つなのだ。じゃないと表現なんてやはり、しないだろう。 --- I might translate this diary later!
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最近は、いよいよ、延期されていた森下スタジオでのレジデンスの準備をしている。
マリーも、他スタッフも、モントリオールやパリなどにいるので、日本にいる私たちとのリモート稽古となる。「ドラマトゥルク 」という仕事について、舞台芸術の世界での経験が豊富な、美和さんや香子さんに聞いてみて、とにかく何でもやる、って言ったんだから、何でもやればいいじゃない?と軽く言ってもらえたので、気持ちが楽になった。 今回の稽古期間は短く、複数回に別れる形になっているので、まずは、何でも試してみること、とマリーも言っていた。 最近、「一人の赤ん坊がハイハイして、父の足の指の毛を何度も触りに来るので、みんな笑っている」、というヴィジョンを思い出し、非常にノスタルジックな気持ちになった。 赤ん坊を見下ろしている、ということは、おそらく一番下の弟だろうと、母に聞いたら、それは上の弟で、ヴィジョンは父が撮ったホームビデオの記憶なのだった。 外部記憶<>ボディ・メモリーの対の話では無いのかもしれないが、(ボディ・メモリーは単純に脳の記憶っていうよりは、自転車が乗れたらもうずっと乗れるようなメモリーのイメージなので) 映像が自分の記憶として肉化しているのを、実感した。 もう一つこの体験が自分に興味深かったのは、このヴィジョンをこれまで「思い出した」経験、 このメモリーを呼び起こした経験、が、記憶にない。 つまり、初めて思い出した思い出の感覚があり、それは突然、ある、すごく似た状況を見た、(みた、という意識もなく、ただ、目に、映っていた、) ことがトリガーとなって、人生で初めて回想された。 最近は自宅で過ごすことが多いのもあり、絵を描いています。完全に芸術肌であり知そのもの(故人も含め)の方々と対話することが多く、ギリシャ科学からの伝統を、一歩一歩、指についた絵具を蝋燭の火のように照らしながら遡っています。霊性の強い人は、早く死ぬか、何らかの「浄化」の役割を果たしながら生きるかなのだと思うが、自分の馬鹿さ加減とか、かっこつけていると転んじゃったり、顔に絵具がついたまま外へ出てたりするところ、そういうところが、最終的には自分を生の方に繋げているのだなとは思う。ただ生が多くの混沌の贖い合いだとすれば、前述した浄化している人たちは、表面はマットでも、内面では動的な作用反作用が渦巻いているのだろう。というかみんなそうだろうか? 人々が張り裂けないように、ヒントは、現代的には禁止、あるいは忘却されている領域に散りばめられている この私たちを構成する粒子のすべてほど膨大に キャプションは、鬱陶しいと思いますが、SEO対策です。あしからず。 7/7~7/19まで、代田橋のフロットサムブックスにて、写真家グループ・カルチャーセンターのブックフェアがあります。 参加作家 池崎一世 宇田川直寛 佐藤麻優子 築山礁太 中野泰輔 長谷川億名 細倉真弓 横田大輔 吉田和生 リュウイカ 渡邊聖子 Newfave カルチャーセンターは、未完成だったり、作品になる前の何かを重視していて、集団での作品制作の可能性も探っています。 Culture Centre/カルチャーセンターは若手作家を主体とし、 それぞれの作家の活動の発表や流通のプラットフォームの一端になることを目指しています。 カルチャーセンターはゆるいつながりを持った個人同士のネットワークであり、 共同体を定義化するようなステートメントや中心となるような教義や指針は今のところありません。 緩やかに個々同士が変則的に結びつき、カルチャーセンターとして行為を行う、 あるいは、個々人の勝手な活動がカルチャーセンターを通り過ぎながら行われる、 そんな繋がりを目指しています。 Culture Centre is a collective of mainly young artists. We aim to be part of a platform for the presentation and distribution of each artist’s activities. Culture Centre is a network of loosely connected individuals. There are currently no statements, doctrines, and guidelines that would define the community. Individuals are anomalously connected to each other and act as Culture Centre. Or, each person’s own activities are carried out while passing through Culture Centre. We aim to make that kind of connection. CCホームページ(今後作家ごとのページなども更新) http://culturecentre.cc --- 私は今回は写真集と、CCからインスピレーションを貰った断片をカタログに掲載してもらっています。 ほかに作品や写真集を使ったインスタレーションなども行われます。 フロットサムブックス実店舗 〒168-0063 東京都杉並区和泉1丁目10−7 (https://flotsambooks.com/smp/) なお、コロナウィルスの状況次第では会期の変更があり得るので、またお知らせさせていただきます。 マリー・ブラッサールと日本人チームから城崎へ / Message to Kinosaki from Marie Brassard and "Violence" Japanese Team7/3/2020 以前お知らせした、モントリオール の演出家、マリー・ブラッサールの舞台"VIOLENCE"の制作は、今年4月に城崎国際アートセンターでスタートし、その後、ヨーロッパや、カナダを巡回予定でした。 しかしながら、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、残念ながら中止となりました。このメッセージは、コロナウィルスによる難しい状況下での交流の替わりになる手段として作成されました。 参加予定であった出演者の奥野美和、竹中香子、またドラマトゥルクの長谷川億名は自己紹介をし、それぞれが演出家マリー・ブラッサールとの出会いを思い起こしながら、ソロ作品「Introduction to Violence (2019)」を制作した海外のアーティストたちに日本人が新たに加わるプロジェクト、「Violence」についての展望を語ります。 またマリーは、今作のインスピレーションの源である「子供たちの想像力」と「日本人の回復力」について明かし、 昨年訪れた城崎の印象について話しています。 これらのメッセージは、それぞれの個人的なスペースで自分自身で撮影しました。 奥野 美和(ダンサー、振付家) 竹中 香子(俳優) 長谷川 億名 (映画監督、ドラマトゥルク) マリー・ブラッサール(俳優 / 演出家) ----- The Artist in Residence Program of "Violence" that was supposed to take place at the Kinosaki International Arts Center last April was unfortunately cancelled. This message was created as an alternative way to communicate under the difficult situation caused by COVID-19. Miwa, Kyoko, and Yokna who were supposed to participate in this program, introduce themselves and each recall their encounter with the director, Marie Brassard, and reflect upon "Violence", a project in development to be created with Japanese collaborators as well as artists from abroad already involved in Marie's solo work "Introduction to Violence " (2019). Marie talks about her sources of inspiration, of the imagination of children and the resilience of Japanese people. She shares her impressions of Kinosaki. They shot the messages by themselves in their personal spaces. Miwa Okuno (Dancer, Choreographer) Kyoko Takenaka (Actor) Yokna Hasegawa (Filmmaker, Dramaturg) Marie Brassard (Actor / Director) --- Credits of insert footages: "Introduction to Violence" Produced by Infrarouge Written, directed and performed by Marie Brassard Sound Design and Live Music Alexander MacSween Set Design and Stage Manager Antonin Sorel Synthesized Images and Live Video Performance Sabrina Ratté Lighting Design and Manager Mikko Hynninen TWO OR THREE THINGS I KNOW ABOUT LEGEND OF "ILLUMINATIONS" |
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January 2024
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