「ロシアを全滅させようとする者がいるなら、それに応じる法的な権利が我々にはある。確かにそれは、人類と世界にとって大惨事だ。しかし私はロシアの市民で、国家元首だ。ロシアのない世界など、なぜ必要なのか」 引用元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60554540 今、明日、早朝に佐渡島へいく前泊で、新潟にいます。 大まかに分けると反対の陣営にいる自分が、虐げられていた人々の救済、という名目が掲げられている侵略行為を、判断するには情報が偏ってるんだろうな..と思いながらも、すでに上記ドキュメンタリー内発言だけで、十分、核や、世界に影響を与えるような暴力を行使できる立場にいてはいけないタイプの人なんだな、という判断はできた。 この論理と今の長い権力体制や原発を攻撃したりの戦い方を重ねて考えると、「ロシアがない..」どころか、「わたしのいない..」世界など、なぜ必要なのか、という意味にも思えてくる。そしてそれをできる立場にいるんだなぁとも。 今みんなが感じているものを、居心地いいと思っている人はいないだろう。 記事を10個くらい読めば、その中で歴史のストーリーはつながるけれど、最終的にはよくわからない戦争。でも戦争はそもそもよくわからないものなのだろう。「一番儲けている人を疑え」という説もあるけど。(地球を五億人にする説も知っている)。でも、お金よりも表の権力よりももう少し何か世界を動かすものはあるんじゃないかなぁと思ってきたけど、やっぱ権力やお金しか「偉い人たち」にはないんだろうか?? ゾルゲの映画を観、憧れてKGBになった、ずっと、夢の中に生きている人なんだろう。もう、ロシアの終身トップであること以上の夢を「権力で」見るとしたら、こういうことをするしかないのですね。ロシアの人は、世界を救済しなければいけない感覚を持つ、というようなことを、ドストエフスキー?が言っていると確か埴谷雄高が言ってたような...。確かに例えばタルコフスキーの映画は、そういった使命感だけで、ロシア的自然が支えなければ、話自体は中二病的とも言える。しかし彼は使命感到達のプロセスとしては、権威は使わない。蔑まれる狂人、乞食のような聖なる人であるユロージヴイや、ルブリョフ(いくつかある一番好きな映画のうちの一つ)を理想とした。そういう逆三角形のような大きな夢もロシアにはあるのだろうなと思う。 .......しかし、ウクライナはアメリカもNATOも直接的には助けていないにもかかわらず、大統領が亡命を拒否して戦い続けることを選んだことにより、士気が上がり、少ない兵力で善戦しているという。ウクライナでは母が銃を持ち、おばあさんが箒でロシア兵を追っ払っているのだという。ロシア兵のモチベーションの低さもあるのだという。自分はこういう話にどうしてもグッと来てしまうのだが、戦争と勇敢さを結びつけて、善玉悪玉を作っていては、永遠に戦争は終わらないだろうなと思ってしまう。 もう一つ思うのは、自分は日本というこの土地自体を守るために残るのかと言ったら、亡命できるんならすると思う。(ただ、自分の両親は公務員だったので、3.11で原発が壊れた時も、「避難しよう」と言った私に、「公務員だから最後までできないよ」と言っていた。自分はそれは尊敬した。使命感で思い出すのが、ニューヨークでキッズシッターをしたときの気持ちだ。子供がものすごく大きな木にどんどん登って行くので、私はもし彼が落ちたら、自分が死んでも自分の体で助けよう、と本気で思っていた。つまり、国土を守るべきものと思えば、あるいは国土を守る役職についていれば、私も自己犠牲が転じて戦えるのだろうか。国は守るべきであると思う。文化も、人々の平和も脅かされるべきではない。大切なものを守るために戦いたい気持ちもある。 台湾、日本が中国に侵略され、戦争になるだろうという話もよく聞く。アメリカは助けないのだから、第九条を考え直した方が良い、核武装したほうが良いという話もよく聞く。 原子爆弾、核兵器、放射能について、これほど考えてきた国も、ある意味リードしてきた国もなく、それは間違いなく誇りだと自分は思ってきた。(実際はアメリカの後ろ盾があったにせよ) 原民喜も竹西寛子も黒い雨も鏡の女たちも好きであり、こういう言い方をしたくないが、前時代の在庫処理みたいな感じがものすごいする。 竹西の小説の中で、男の言葉で、原爆が落ちた黒焦げの土地から、しばらくすると、植物の芽が出てきた、その生命力を見た時、「思い上がるな、人間たちよ!」と叫びたくなった、というものがある。私はアメリカではなく、この「人間たちよ!」という風に言うのがすごいなぁと思った。そして、小さな芽の生命力というものによって、叫びたい気持ちが沸き起こるというところが。 一度、大量の「在庫」を爆発させ、人々を、蒸発させ、地球を、不毛の地にするプロセスが、人間には必要なのだろうか。 私は10歳に満たない友人がおり、彼女らはそのプロセスを経ても経なくても、肉弾戦みたいな戦争をしなくなる人類になるのではと思う。彼女らは、不毛の土地でも、もしかしたら科学の力で生きていけるのかもしれないけど、もうそういう歴史は完全に蛇足だった、ナガサキで終わり、で良いのではないだろうか。 自分は、ある意味では、日本についての映画をずっと作ってきた。今もそう。ただ、私にとっては、何か破滅的なイメージが常にあり、最悪、日本がなくなっても、日本(日本国民というわけではない)を残したいという気持ち、とも言える。 先月は、佐渡金山についても、相川のゆかさんと毎日話していました。ゆかさんは毎日金山神社にお参りに行っている。私は確認したいことがあるので、また紹介できていませんが、佐渡今月2回いくので、一度それ関連でも調べたことを書きたいです。 --- 最後に、今のところの私の考えは、外交で、資本主義的な力で、「2023年終わるまでどこの国からも侵略されないように持ち堪える」、です。そして、どちらかといえば、「新しい生命(AIでも、人工生命でも良い)を作る」方向性に力を向けたり、第九条で注目を浴びて答えの出ないことを2023年までの間にするよりも、国内の水とか、食べ物とか、サイバーダインとか(笑)、そういう方をちゃんとやったほうがはるかに良いだろうと思います。 ロシアの様子を見て、すぐ攻めやすいと思うとは思えないけど、今回権力者と自分の求めるものや思考回路が全く違うことが分かったので、反対かもしれませんが笑 少子高齢化のことを考えたり、自分も含む一般的な日本人の(場合によってはいわゆる右翼の人ですらの)愛国心的なものや、ずっと平和だったことを考えると、ウクライナのような形の強さは日本人は持てないし、持っていないと思う。台湾にはアメリカやヨーロッパさえ10年も追い付かないような半導体の技術があり、日本には何があるか。それを、企業に私有化され、ぜんぜんコンパクトじゃなかった予算と実態の差がすごい東京オリンピックと、その後の北京オリンピックの後で、考えています(映像関連では答えが出ていて、それは普通ですが、アニメとゲームです。でも、ローカル、マイナー文学であれば、なんと言っても、短歌です) 最終的に最近考えていたことがごちゃごちゃになってしまいましたが、これから、人はモノを所有せず、国からモノを借りる体制になるというような話もすごく面白いですね。プライバシーがなくなるとか。私は今の方が絶対にいいと思います。
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オーダーをいただき、ブルーレイを製作しました。
全部手作り、盤面もシルクスクリーンで構想中に書いていたスケッチを印刷しました。 顔の見える誰かに見てもらえる、持っていただけると思うと、また別の緊張感というかサービス精神が出てきて、とても良い経験になりました。 機会をくださった方々、ありがとうございました。 現在非売品ですが、とても気に入っているので、ウェブサイトに掲載しました。 First Blue-Ray of the Ocean 🌊 Containing portrait films : "First Memory of the Ocean" and "First Dream of the Ocean", 2021 Disc : M disc(it keeps memories for several hundreds years), Silk screen (text, idea sketch of installation "Altarcall") Designed and made by Ryusuke Yamai (though the edition number is 10, but we decided to make it be unique piece, Sold Out) はじめての海の青い光線(ブルーレイ) 映像ポートレイト”最初の海の思い出”、及び”最初の海の見る夢”含む ディスク:Mディスク(数百年の間、記憶を残す) シルクスクリーン(言葉、インスタレーション作品"Altarcall"着想スケッチ) デザイン、制作、山井隆介 ユニークピース、(エディションナンバーは10だが、現在非売品。) 2022 掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり - 慈円 夏に撮影していただいた、SADOMMUNEという、佐渡のカルチャーを現代〜文化人類学的な層まで掘り下げて紹介している番組です。 さどの島銀河芸術祭の紹介回で、11/7まで展示中の、「函数の部屋」を取材していただきました。 さどテレビで放映後、アーカイブ配信されています。 (両津博物館の池田先生による、ムジナについての回など、とても面白くておすすめです。また、もっと佐渡のムジナを含む土着的な信仰について知りたい方は、『憑依と呪いのエスノグラフィー』という本は、とても面白いです。) 番組内で質問をしてくださっている吉田モリトさんや武田泉さんには、展示候補地を回る時など、パーソナルにサポートしていただいていて、すごく率直にお話できました。 ここ最近、私は人間の、(宇宙を視野に入れた場合、間違いなく起こると思うのだが)「物質よさらば」がどういうふうに起こるのが理想的なのか...(まず個体としての自分の死の方がもちろん先とは思うのだが) そして、物質(脳)から解放された記憶(存在のかけらとも言えるだろうか)が宇宙の中でどんな風に残っていくのか、 がやはりセンチメンタルな意味でも気になっており、いま作っている映画の「コスモ・コルプス」でも結果的に、コアな問題にさせていただいています。 そういう時に思い浮かぶのは、自分の人生の中での不思議体験の一つである、「空を飛び交う光の粒」で、どういうものかというと、20代前半だったと思うのですが、ある日、明らかに自分の意思で飛んだり分裂して追いかけっこしている小さな光たちを上空に見たのです。 最初は誰かがサーチライトか何かで遊んでいるのかなと思っていたのですが、映すものもないただの空だし、たまに数が変化したりして10数個になったりしながら、明らかにそれらの光は自分の意思で遊んでいるのです。傍観者ながらも、その光たちの興奮を感じ取って、こいつらは、こんなに飛び回って、なんて楽しそうなんだ、と思ったのを覚えています。 ビデオで撮ろうか、家にあるプロジェクターで煽ろうか..(当時はスマホはなかった)と考えながらもそこから立ち去れず釘付けになっているうちに、いきなり光はパッと散逸して、消えました。時間にして1、2分のことだったかと思います。 後年、ピナバウシュのフルムーンという作品の中で、ダンサーたちの体を通して、全く同じものを見る体験をしたのですが、存在は、爆発的な喜びの中で生きることが本当はできる、また、もしあの光たちがなんらかの未来的な存在で(人間性を感じたので。)、あの時の私が偶然なんらかのエラーで目撃することができたのだったとしたら、体のなくなった、私たち、あるいはずっと平行で交わらないかもしれない彼らの世界は、それはそれは素晴らしいだろうと、思いました。 映画作品と私自身の実人生との乖離が問題だったので、今回の映画にそれを、少なくとも脚本段階で入れることができたのは、大きな進展だったなと思ってます。 私は自分の体験したことは、客観的な事実でもあって欲しいという意志(?)が強い人間で、だからというわけではないのだが、お酒もほとんど飲まない。(例えば集団催眠とか、幻覚とかという結論にしたくない。不思議なことが起きても、現代科学では包括されていない現実の層があるはずで、それは追求してみたいと感じる)そういう人生の中での完全なる不思議体験の一つが前述した光、そして佐渡で守屋君、ゆうこさんと同時に体験した、「猫の不思議な事件」です。 でも思うのは結局、不思議な出来事に遭遇しても、その不思議を、放流するしかないよなと。 不思議だけど、持ち帰って、分析するわけには行かない、その光や猫は、その環境と文脈にいたのだから。そもそも科学者も近くにいないのだから、どうやっても答えなんかは出ないんだなと。 ただその奇跡的な事実の、肌や精神に残るリアリティの痕跡や、事実を何度も何度も反芻することからの気づきが、やはりこれからの人生でも、世界の可能性について考え、信じるときに、重要になってくるんじゃないかと考えています。 --- サドミューンの時はまだ、未来篇(ユイ篇)も撮っていなかったことを思うと、平和だなと思います。。 しかし、この時語ったことから派生していたり、また何度もここへ帰っていったりするのだろうし、 そういった瞬間的に感じていたことを言葉にでき、省みる機会があるのは、とてもありがたいです。 佐渡の虫崎での滞在では自然に圧倒されてしまい、夏ということもあって、虫との戦いも多かった。自分は現時点では完全には自然型の人間ではありませんが、佐渡の人たちはどのかたも自分より一回り大きな感じがし、少しずつ強くなっていきたいとは感じている。 ---- SADOMMUNE「さどの島銀河芸術祭2021 参加アーティスト特集」!! 今回お届けするのは、美術家の山井隆介さんと映画監督の長谷川億名さんのユニットによる作品です。 プライベートでもご夫婦であり、それぞれに作家活動をされているお二人は、今回初めてコンセプトワークから設営、仕上げまでを共同で制作されたとのこと。 お二人は、1万年先の存在という、時間的にも距離的にも遠く隔たれた存在に対して伝わる言語を探求することを主題に、佐渡に長期滞在をしながら、佐渡の歴史や風土から大いにインスパイアされ、この作品を完成させました。 作品へのそれぞれの思いや、佐渡での滞在秘話、山井さんご本人による作品解説も丁寧にしていただきました。 この作品をもっと深堀りできるインタビュー記事も公開されていますので、ぜひ合わせてご覧ください。 さどの島銀河芸術祭 山井隆介+長谷川億名「函数の部屋」 https://sado-art.com/2021/06/26/山井隆介+長谷川億名/ 函数の部屋 Interview with 山井隆介+長谷川億名 https://sado-art.com/2021/10/04/interview-yamai-hasegawa/ 【お知らせ】 現在、さどの島銀河芸術祭2021は、会期を延長して2021年11月7日まで開催しております。 クローズになった展示もございますが、まだまだ見どころある作品が展示されておりますので、ぜひ足をお運びください。 クローズになった展示会場など、詳細はこちら https://sado-art.com/2021/10/01/extension1107/ だいぶ近づいてきましたが、冬になる前に、勢いで行けるところまで行くつもりです。
もちろん安全には気をつけつつ...変わった映画ではありますが、興味のある方はぜひご登録いただき、参加していただけたら幸いです。 (①は、交通費、食費支給。報酬ありです。全国から募集していますが、佐渡島の方だとベストと思っております。 ②と③は、交通費と、時間帯、貢献度によっては食費・報酬の支給もあります。ただ、佐渡島在住の方、島で合流できる方限定になります。) 今年の5月ごろから企画を立てていた、「コスモ・コルプス(Cosmo Corpus)」という映画の一篇、「未来篇(ユイ篇)」の佐渡ヶ島での撮影が先日無事、終了しました。 二年ほど前から家族ぐるみで交流させていただいているユイちゃんと、15年前に自分の未完になってしまっている人魚の映画に出演していただいた、野澤健さんに(リベンジ的に?)出演をお願いしました。 撮影は、『デュアル・シティ』ではCGディレクターをお願いした守屋雄介君に担当していただき、技術、精神両面に渡り、その無尽蔵の好奇心と行動力で、映画作りの神秘的なものを一緒に目撃できました。 美術は、さどの島銀河芸術祭に続いて、「一万年後の未来」という共通のモチーフで、山井隆介君に山井君らしい壮大で無限に奥行きのある世界を作ってもらいました。 この三人で5月にロケハンをしたのがこの映画の最初期で、その時に守屋君のおかげで佐渡の南側である小木という町の、iroという宿を知ることになり、そこのオーナーである横山裕子さんという大きなサポーターと出会えたことは、この映画のこの篇の「成功」の大きな要因だったと思ってます。 この「成功」と言うのには色々な意味があるし、元の意味からもズレてそうだけれど、自分としては、後述する理由から、この「ユイ篇」はものすごく成功をした、と感じています。 閑話休題***オタク用の情報として、 撮影前に共有したものとしては、 ・お能の『融』 ・ロバート・スミッソンの、"Spiral Jetty"(自分の場合、主に映画の方。山井君が元々彼のアースワーク、ランドアートが好きで紹介してもらい、映画「Spiral Jetty」を近代美術館で見てぶっ飛んだ。) ・松澤宥の「Ψの部屋」(...これも山井君のお誘いで、物理的に存在しなくなる前の、「Ψの部屋」に入らせていただいたことがあります。部屋に滞在していた時の感覚は今でもあらゆるものの指標になっている気がしますし、他にも...大量にあるカッコ良すぎる未発表の習作、本棚にあるSFや科学関係の書物、松澤さんを知る方々の言葉など、自分にとってアートという存在がどういうものであるべきかを定義する、とても貴重な体験となっています。来年の長野の美術館での展示もとても楽しみです。) ・最近ではEduardo Williamsさんの映画、"Human Surge"や"Could See a puma"のことははっきりと明言しながら作っていました。 ・また、形式的には似ていないので、誰にも言わなかったけれど、『禁じられた遊び』と言う映画が自分はすごく好きで、ああいった子供だから可能なのかもしれない、タブーな領域に大胆に踏み込んだ上での哲学性(疑問)、それ以上差し引けないパッションというか関係のダイナミズムというのかが、滲み出る映画にしたいと考えていました。 最後に、 ・2008年(?)に見た、ピナ・バウシュ「フルムーン」の日本公演。松澤さんの部屋へ行った体験も、鑑賞という厚いベールを超えたものでしたが、ピナ・バウシュはまさに直に自分の存在に関わってこようとするような爆発性があって、芸術に期待できるもののハードルがめちゃくちゃに上がりました。 また子供と遊んでいると、不意に、「カフェ・ミュラー」の、部屋の中を眠ったまま歩く(?)女性が転ばないように、彼女の行手にある椅子を無我夢中でどけ続ける男の人を思わせるような光景に出くわすこともたびたびありました。 それも、大人は誤魔化してしまっているが、子供がはっきりとした形で教えてくれるものに目を向けるきっかけになったように思います。 数年前から、自分の年代もあり、友人のうちへ遊びに行った時などに、友人自身やその周りの子供と接する機会が増えてきました。 友人たちも個性豊かなので子供たちも本当に面白いし、 時の流れが因→果だけではなく、果→因の方向にも絶対流れているに違いない..、 と自分が思うきっかけになるような相互の影響が、彼彼女らと友人たちの間には感じられてとても興味深かった。 最初、この映画は『融』というタイトルで、お能が原作でした。(です。) 思想や人物の構想している莫大な夢という形でCosmo Corpusにも遺ってはいますが、こちらの登場人物は男性二人です。 そこから、補助線として引いた「一万年後の未来」というテーマについて考えるとき、遊ぶたびに驚きや、神秘的な気持ちを与えてくれるユイちゃんが、宇宙にいる様子、地球と出会う瞬間がパッと思い浮かびました。 また、野澤さんには、とにかく深い感情、それこそ地球から人がいなくなって100年200年と生きている人の持つはずの、難しいエモーションを表現する役割を、担ってもらおうと思っていました。 ユイちゃんを今撮ることに迷いはなかったが、子供を映画に出演させることの現実面での危険な影響は、撮影中も頭を去ることはなかった。事故の可能性、カメラの前で演じること自体の不自然性、大人の指示を聞かせることの歪さ、夜更かしをさせたり朝早く起こしてしまったりなどなど。自分が幼い頃感じていたような違和感を、ユイちゃんにはできる限り抱いてほしくなかった。 救いは参加してくれた大人たちの考え方でした。 自らもキャスト、スタッフとして参加してくれた純子さんや、功(いさお)さんは、誰よりもユイちゃんのことを考えた上で、仕事でもなく、狭い視野の愛情でもなく、もっと大事な理由のために、判断してくれていると感じていました。 具体的には、「ユイちゃんと私(他者)との(歳の差は相当あるものの)信頼関係」や、「共同の、すごく価値のある世界の創造」。 それを最大限に尊重して、一役も二役も買って出てくれた上で、私が至らないところははっきりと言って、ユイちゃんを守ってもくれていた。 私はユイちゃんを子役ではなく、天性のセンスを持ったアーティスト、宇宙との繋がり(恐怖も含め)、世界の美しさを教えてくれる存在だと感じている。じゃないとしょうがないなと思い、諦めていたこともあったと思う。でもユイちゃんだったらと思って、諦めたくなかった。そう言ったことをこれからも伝え切れるように、全力を出して関わっていきたい。 最後は息を飲むような神々しいシーンだった。自分は本当に一言彼女に言うだけだった。佐渡ができた頃、まだ名前のなかった島の時代に行われていた儀式を見るかのようだった。まるで無人のような地球、それは、新しいからこその孤独と、エネルギーに満ち満ちた惑星だった。こうして死んでいき、また生まれてくるのだなと海で、ブルーアワーのむせかえるような空気のなかで、感じていた。こういうもの、純粋さ、始まり、を自分が見たいから、映画を撮っているのだなとも。 そういった瞬間を感じられたから、自分には大大大成功の撮影だった。 皆が帰っていく日、じゅんちゃんから、「ヨクナ!車が動かない。これはどう言うことだろう?笑」と連絡があった。近くのホテルに泊まっていたいさおさんと野澤さんは歩いて我々が泊まっていたiroまで来てくれて、状況を説明してくれ、これから(車が動かなくなった時に電話する会社)(?)を呼んでみると言う。 昨日までなんともなかったのに、今日エンジンをかけてみたら、全くかからなくなっているのだと言う。 しばらく騒然としながら待っていると、裕子さんが近くで見つけてくれて、じゅんちゃんとユイちゃんがiroまでやってきた。焦っているのかと思いきや、じゅんちゃんはやっぱり満面の笑みで、私も笑ってしまった。 「ヨクナ!私たち、引き止められちゃったよ〜。でもね、ちょっと嬉しいんだ。ほんとに帰りたくなかったからさぁ。」 真っ白な明るい外から宿の中へ入りながら、少し照れてるような、ワクワクしているような様子で話すじゅんちゃんは、ユイちゃん以上に少女のようだった。 「お参りに行こうか?」と私が言うと、「お参りはたくさんしたんだよー」とじゅんちゃんが言うので、裕子さんが「お参りしたから気に入られちゃったのかもね。」と付け加えてくれ、なんとなく納得してしまった。ユイちゃんは昨日の熱演とはうって変わって、ずっと絵を描いていた。ホラー好きのじゅんちゃんが、『佐渡の怖い話』という本をすでに片手に持っていたので、乙和池やキリシタン塚、アリガタヤさん達など、自分がこれまで興味を持ってきた、佐渡にまつわる霊的な話をして、以心伝心とか、昔はあったかもしれないのになくなっていくものについて話した。こうして思いがけなく、まだ1日の中の早い時間帯に、みんなでゆっくり過ごすことができた。 その後の展開はなんともまた、不思議なものだった。別行動で車を直そうとしていた、いさおさんから、「エンジンがかかった!」との一報があり、近くの駐車場へ行ってみると、白昼の中、ドアが開いたベンツを前に、Tシャツ姿のいさおさんがいて、みんなに説明をしてくれた。 「ずっとかからなくてさ、でも、最後の最後に、エンジンの場所がこの辺にあるんだけど、ここを外から叩いてみてください、って言われて。 でもこう言うのって、生きた技術だからさ、できるかわかんなかったんだけど。車屋さんが叩いてくれて。そしたら、かかったの。 でも、このままエンジンかけっぱなしにして走ってくださいだって。」 次は、「現代篇(中学生篇)」と「未来島、過去島篇」。 これから色々本格的になっていくと思うのですが、現在も、佐渡在住のエキストラさんや、出演者を募集中です。 現場写真撮影:JUNK THE RiPPER ロケ地は、佐渡の素浜、小木、二つ岩、椿尾石切場(山口・才の神丁場)、岩場なのは万畳敷、宿根木。他に小木民俗博物館、小木小学校のご協力をいただいています。 まだまだ大量に撮ってもらえたのでこれからも少しずつシェアさせていただきたいです。 コスモ・コルプス 未来篇(ユイ篇) ユイ:佐久間ユイ ケン:野澤健 未来人:JUNK THE RiPPER 監督:長谷川億名 撮影監督:守屋雄介 美術制作、監督:山井隆介 照明:日下竜吾 照明助手:石井せいじ 録音、サウンドエンジニア:佐久間功 現地コーディネーター、制作:横山裕子 協力:さどの島銀河芸術祭、フィルム・コミッション佐渡事務局、小木の宿 iro すっかり夏になってしまいましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 私は、新潟県佐渡市で行われる、さどの島銀河芸術祭2021に参加するのと、 新しい映画の撮影の夏になりそうです。 さどの島銀河芸術祭2021 会期 2021/8/8(日)から10/3(日) 場所 旧虫崎分校 山井隆介君と一つの空間で展示します。 共同コンセプトは、 「一万年後の存在とのコミュニケーション」 ウェブサイト https://sado-art.com アーティストページ https://sado-art.com/2021/06/26/山井隆介+長谷川億名/ 佐渡島は、相川にある友人のご実家に泊まらせていただいたのが初めてで、 その後、帰ってきて偶然山井くんから芸術祭のお話を聞き、勝手に縁を感じています。 島へは、新潟港から佐渡の両津港までフェリーで渡ります。 その両津港から車で30分ほどの虫崎集落に分校「内海府小中学校・虫崎分校」があります。 高いところにあって、海が一望できる、とても古くて美しい場所です。 昔は学校の体育館で、今は盆踊りなどの際に集落のコミュニティスペースとして使われている建物をお借りすることができました。 (追記)滞在中お世話になった、兵庫勝さんによる文章。 強い気持ちと、虫崎愛に溢れています。ぜひ読んでみてください。 限界集落の「100人盆踊り」に託す願い 海山の幸豊穣な佐渡島・虫崎 https://renews.jp/article/1356/ フェリーはカーフェリーとジェットフォイルの二種類があって、値段と乗船時間が違いますが、私は最近は新潟に前泊して朝一のカーフェリーに乗っています。 島内の移動では自動車は必須だと思いますが、長距離の本格的なサイクリングやバイクも面白いかもしれません。 後述する、Iroという宿は両津から二時間ほどの小木という場所にあり、南側ですが、こちらも琴浦洞窟や、昔は海の底にあった洞窟で貝殻の跡や遺跡が出土していることから初期の縄文人も暮らし、さらに日本最北の磨崖仏もあったりと現在でも信仰の場になっている岩屋山石窟、そして宿根木、万条敷などだいぶ見所があります。 佐渡では蛍(*六月まで!) や夜光虫も見ることができますし、海はもちろん綺麗です。 よかったらひと夏を過ごしてみてください。 ---- 私の作品の方の映像制作には、 撮影監督として守屋雄介くん 現地のコーディネーター兼出演者として、小木の宿、Iroのゆうこさん ゆうこさんにご紹介いただいた佐渡琴浦の漁師さんたちや葛原さん、 琴浦や姫津のストリートで出会した方々、さまざまな佐渡の人に関わっていただいています。 話の合間合間の仕草や顔を元にした、ポートレイトとしてまとめるつもりでしたが、 捕鯨船や蟹工船の話など思いがけない話がたくさん伺えて、ドキュメンタリーとしての制作を続けたい感じすらしてしまいました。 ただ話を伺うというのは自分の想像よりずっと面白いし貴重である一方で、基本的に「過去の話」になる。 そこと、その人の創造性を記録することとの折り合いが難しいのだな、と今更ながらやってみて思っています。 語ること自体創造的なことだとは勿論思うけれど、現在の創造性、未来に向かった創造性、何も持っていない軽やかで現実と断絶のある創造性、みたいなものに触れるにはやはり一緒に生活したり長い関わりが大事だなと..。 最終的にはここからの1~2週間で形を決める予定です。 劇映画自体は3篇の、登場人物も時代も全く違う佐渡を舞台にした映画を一つに交錯させるつもりで、一編目は、一万年後の存在が主人公です。 能にはもともと、時代を超えたコミュニケーションというテーマが入っているということもあり、『融』という演目の中の、 「一輪も降(くだ)らず万水も昇らず」という世界(宇宙)の理を顕すような言葉、 一方で、水面に映った月と水中の魚が重なるイメージ..に驚いて、オリジナルの映画を作り始めました。(この一輪というのは、月のことを言っています。塚本邦雄が本の中で紹介していて心に残っていた、 「月一輪凍湖一輪光りあふ」という橋本多佳子の句を思い出す。子規にも「月一輪星無數空緑なり」という作品があるようだ。どっちも佐渡っぽい。) 結果として、今は登場人物もテーマも、世界の色彩も変わりましたが、融に感じた魅力は少なからず残して行きたいと考えています。 光源氏がモデルとも言われる出世争いから外れた男が、陸奥の千賀(仙台)にある塩竈の美しさを聞き、莫大な労力をかけて海を京都に造ろうとする。毎日難波から水を汲ませ、塩を焼かせ、船を浮かべて楽しむ。その風流というよりは狂気と呼べそうな、厭世的で砂上の大楼閣的な行為、しかしそのあと海は継ぐものもおらず今は荒れ果て、水を入れた桶を肩に担いだおじいさんが、廃墟の只中で昔について語っている.. また、見学させていただいた、6月末の能の発表会で、お話を聞いた祝先生が踊られた演目が「融」だったという偶然もある..。 実際に祝先生の舞台を見て、映画の中でも能のシーンがあると本当に感動するだろうとは思ったが、さらにまとまった予算が必要なので、今年〜来年を目処に今色々な助成金を探しています。 そして結局、6月末は劇映画撮影の予定でしたが、こちらは8月〜になり、 6月中は、守屋君の紹介でIroに泊まらせていただいて(最初の方は写真家の細倉真弓さんもなぜか同行して笑)、ロケハンとリサーチをしていました。 毎日不思議なことが起こってはいたが、帰るとバタンと寝て、朝起きると行動して..という感じで、まとめる機会がなく、これまで過ごしてきてしまっていました。 一人では無意識に省エネしてしまうが、協力して行動すると、それも島のような場所に一つの来るべきヴィジョンを求めての泊まり込みだと、行動も考えも、現象-感覚も、何もかも拡大するなぁと思います。 --- 今回漁師さん達、奥さん達からは、海女さんの話で聞くような不思議体験は全く聞けなかった...という意味では、北洋も近海の漁師さんもどちらも、現実的、と言ってもよかった。ただしその現実の中の「海」は、私が見ているものよりも、ずっと美しいものだということも言葉の端々からだが理解できた。 ガラス箱を眺めるのが何よりも楽しい、釣りがとにかく好き、海が好き、など..。 琴浦の漁師さん達からお話を聞くところから始まったので、遠洋漁業の、ずっと海の上にいる漁師さん達はどうか..と、姫津へ行ってみたけれど、お祭りや供養や遭難の記憶などはあっても、ものすごく健康的で、やはり実感を伴った超自然的な体験、という風な話は聞けなかった。 (ただし、「この村は漁師村で、石見の国三名の漁師を、相川の炭鉱夫たちが食べる魚をとるために連れてきたのが始まり。数年前にその33周忌だった」姫津で聞いた村が開かれた瞬間についてのこの言葉には、神話のような魅力を感じた。 また、山の人、葛原さんという方には、 彼の祖父母の代まではそういった神と一体の感覚は日常茶飯事だった..、という言葉も聞けた。) 実際通りすがりの人間に生き死にの話、神がかった話は、なかなかしないとは思うけれど、それ以上に、能の祝先生に「幽霊や化身などの役をされるとき、どういう気持ちで役になるのか」と伺った際、祝先生は(人間の)言葉よりも、まず、身体知の方なんだなと思ったように、実際、体で日々感じていることを、言葉で説明もできないだろう。今回の漁師さん達の世界観や現実性についても同じことを思った。 言語は体験から切り離す部分があるだろうし、..山井君とも「超越的な言語」という矛盾について話したが、人間の言語はむしろ、交流を制御する弁のような仕組みになっている(人間の場合は、言語によって交流できるとかよりも、言語がなかったら一緒くたになってしまうものを切り分け、少しずつ交流させたり、概念だけを個別に発展させるような意味で)、方が大きいな..と最近は感じている。 言葉を介してというよりは、排して、漁師さんそれぞれの頭の中に入る位になり、 誰でもの頭の中から、外見ではわからない内面、感性や感覚を通して、哲学的な真理を言葉(映像言語でも。というかむしろ映像言語だからこそ?)で導き出すことまでできたらそれは素晴らしい.. ・語れることの深層にどうやったら入っていけるのか? ・例えば動物は映画を撮りたいなんて思わないよなといつも思ってきた。でも人間の子供は皆、おもちゃのようにカメラを使いたがる。 ー また、両津民俗博物館の池田先生のお話で、佐渡で能がこれほどまでに(一時期は島内に200個とも言われるほど、各集落に一つの能舞台があった。)支持されてきたことについて、能独特の思想が、佐渡の人たちの精神性に合っていた部分があるのだろうか?と質問した時返ってきた答えは、 「能が流行った理由は、民衆の蓄財を防ぐため」というものだった。 一つは能はお金がかかるでしょう。だから、村人たちがお金を使って、上に反乱しないようにした。 もう一つは集落ごとの競争心。この二つによって、佐渡では能が盛んに行われるようになった。- 能が散財させるために..政治的に利用されていたというのはかなり意外でショックでもあったが、世の中の仕組みを目の当たりにした気分で、印象的だった。 「それでも何か、独特の..精神的な共感とかはなかったんでしょうか..」とさらに伺ったところ、 「う〜ん、そうだねぇ、能の鬼の衣装って、ウロコの柄でしょう。それから、佐渡島って、鬼ヶ島のモデルと言われているでしょう。そういう、鬼っていう怖い、でも翻るとすごく良くもなる..そういうものへの共感があるのかもしれない」 Ludwig Berger氏のThe Blue Hour Observatoryに参加しています。 さまざまな国の映像作家、詩人、音楽家が協力していて、完成映像では四カ国四人によるマルチ映像に音声が付けられています。 私自身も含めた映像作家は、自分の部屋で、夕方の青い時間帯に、真っ暗になってもう何も見えなくなるまでカメラを回し続ける..という指示に従って撮影しています。 2020年のパンデミックが始まった頃、撮りました。 この体験自体、ものすごく瞑想的で面白かったのですが、(でも目を凝らしていても、やっぱりいつの間にか、真っ暗になっている。) 出来上がった作品をみると、「こんなにみんな同じルールで撮り方違うんだ!」と、驚きがあり、更に面白かったです。 また、ネタバレみたいになってしまうのですが、最後まで見るとわかることがあり、 私がLudwigにごめんね、と言ったところ、 「夜がどんどん狭くなっていく感じがして、それも好きだ」と言っていました。 40分というのは長い時間とは思いますが、興味があったら、体験してみてください。 個人的に、孤独と繋がりを感じることが出来た、結構好きな作品です。 こちらの記事にまとめられています。 http://www.incfmagazine.com/blue-hour-observatory/
I participate in Ludwig Berger's "The Blue Hour Observatory".
In this project, filmmakers, poets, and musicians from various countries are working together. In the completed video, audio is added to the multi-video by four filmmakers from four countries. The filmmakers, including myself, have shot in their room during the blue hours of the evening, following the instructions to keep turning the camera until it gets dark and they can't see anything anymore. I took it when pandemic started in 2020. The experience itself was extremely meditative and interesting ,(but even if I concentrated on realizing "the moment" to become "night", it gets dark before I knew it.) Looking at the finished work, I was surprised and even more interesting. Because everyone takes the same rules but shoots so differently! Also, but if you can see it until the end you can find something. When I said sorry to Ludwig about it, "I feel like the night is getting narrower and narrower, and I like that too" he said. I think 40 minutes is a long time in the modern time, but if you are interested, please try it. Personally, I was able to feel loneliness and connection, and this is a work I like. It is summarized in this article. http://www.incfmagazine.com/blue-hour-observatory/ 以前佐渡へ行ったときの写真を改めて整理している。
プレゼント用にアルバムにしたかったがまだできていなかった。 佐渡から帰りたてのいま、作っておきたい気がしている。 こうしてみると、映像とだいぶ違うアングルがたくさんあって、編集で同じ映像だけを繰り返し見てきた身には、時間が増えたようですごく不思議..。 この新鮮さは、映像ではなく写真だから、止まってるから、というのはだいぶ大きいけど、このまま動き出すのを想像できる部分もある。実際、写真集を作る(撮る)のと映像を作る(撮る)のでは、何が違ったんだろうか?声だろうか。 (ちなみにPCR検査は渡航前に行いました) *文化人類学、民俗学者の池田哲夫先生に両津郷土博物館を一周しながら全ての展示についてお話を伺う、という驚くべき機会をいただいたとき..。乙和池について「個人的な質問なのですが..」と尋ねた時の、池田先生の乙和池の解釈は、この記事だと少し個人的な内容すぎるので、次回きちんとまとめたい。 --- 新潟県佐渡島のことは既に何度か書いていますが、初めて滞在したのは2019年。 ニューヨークで出会った佐渡島出身のシンガーの、ユカさんがきっかけでした。ニューヨークで言われた、「佐渡に遊びに来たら」という言葉を真に受けて、結局ユカさんのところで二週間くらい、ずっとお世話になりっぱなしでした。 その期間、日々の中で撮らせてもらった映像が、今回の展示には使われています。それらは、牧歌的で、微笑ましく、完結なく思い出を呼び寄せ、自分にとっては、根源的な意味で勇気づけられるものだなぁと思います。 しかし自分のことですから、どうしても、いわばヌミノーゼ的なものに対して、感性が働いてしまうのです。 今展示中のインスタレーションの中には、「乙和池の浮力」という、スギゴケで再現した佐渡の池と、その池にあった二本の木を模した作品があります。 以下、ミニチュアを作るまでに乙和池に入れ込む様になった理由を自分なりにまとめておきたい。 --- <乙和池について> この「乙和池」という場所の映像は、それほど残っていない。恥ずかしながら、機械記録以前に体験を優先してしまったのだった。 何も知らずにこの場所へ連れて行ってもらったとき、山の中の崖の上、ハラハラするような道をガタゴトと、しばらく車で登って行ったことを覚えている..。そのあと森の中の階段を登ると、この池があった。池のさざ波の細かさと絶え間なくふるえ続ける輝きに、真っ先に「ただの場所」じゃないと思った。つまりは、そんなものはこれまで見たことがなかったのだ。しかし今思えば、その時間の止まったような静けさ、ぽっかりと澄んだ明るさ、それら全てを同時に感じていた。 まるで池が...。池自体はただそこにあるだけなのだが..。この場を支配している..。自然に溢れていると同時に、池から広がる、抽象的な空間とすら言えるほどの、天上的な波及。おそらくそのさざ波は、その水の透明度から。また池自体が遠浅で水面から池底までの距離が短いから、起こっていたのだったが、その時は理由が分からず、奇異と思えるほどの繊細な現象にただただ驚いていた。 周囲には鬱蒼とした木々、自分が理解できた範囲ではシダの様な植物があり、それらが発散する水分なのか?霧もないのに、霧の中にいて、霧の中のものを見るようだった。そのみずみずしい緑に、私は、なぜか、「こんなシダ見たことない。欲しい。」「持って帰れたらなぁ」と不意に言ってしまったのだった...。 池のただ中にあり、近づいて見ることはできない(伝承によれば、乙和が入水したあと7日目の雨のあと村人が池に来てみると出来ていたという)植物性浮島の、(伝承通り)意思を持って、(伝承通り乙和が立った場所だけを残して、その周りに)形成されたかのような肉質の厚い群生、鳥居の様な人工物はやはり美しいが朽ちて、ただ置いてある感じがあり、この周辺にみなぎる生命力に滅ぼされたのでは、とさえ思えた... しかし..それらは、あの美しい乙和池から感じとった、自分の真正の感覚だったのか? それとも後の情報によって作られた印象なのか?今ではよくわからない。 なぜなら乙和池へみんなで行った日、ユカさんのお父さんに今日はどこへ行ってきたのかと尋ねてもらい、非常な満足感と共に、「乙和池へ行ってきました!」と答えた時、言われた、 「乙和池。気味悪りぃとこだろ?」という言葉に、面くらったことを覚えているからだ。お父さんは、完全に冗談を言っている感じではなく、どちらかというと真面目な顔だった気がする。私はとにかく言葉に詰まってしまい、なぜそんなことをいうのか、その理由については聞かなかった。しかし何も知らずに経験した「乙和池」の、魅力が倍増するのを感じた。 だから確かに、乙和池へ行った後自分は、あの池を、ただただ美しい場所と思っていた。のだと思う。ユカさんたちに、「すごく綺麗だった。乙和池すごく好きでした」とか、言った記憶がある。しかしそれでも一筋の疑惑はあった..。のだと思う。「あまりにも美しすぎる」と感じていたのか、そのお父さんの「気味悪い」という言葉が、体験を遡って行き、どこか本質を捉えていると感じたのだった。 ほとんどの人は感覚的に納得しないだろうが、私は天使が恐ろしい。(オットーはバッハのミサ曲のEt Incarnatus Est、神の面前で自らの翼によって顔を覆う天使を挙げていたが、自分にとっては天使が顔を翼で覆っている図で既に怖い。揺らぎというのか、音が移相する時が怖い。 でももちろん西洋的な秩序づけがされており、制作物であり、乙和池の透明な存在そのものとは全然違うが... 「天の聖霊はこの世界の上を飛び回って、自分のやるべきものを探し求める。‘Et homo factus est’のところで聖霊は飛行をやめて、下に下る。この瞬間にこのモティーフは低音に現れて、自らいやしくして肉体をとったことが表出せられる。」
乙和池の上方にも霊が漂っており、霊と物質が不可分なまでに重なり合った存在として、乙和池があった。そして例えば天使が、その美しさ、その聖性ゆえに、悪魔以上に非人間的な媒体として描かれることがあるように、乙和池は神聖な空間だった。 * * * その後、私が乙和池について検索した結果は、同時代なら誰が検索した結果とも同じである。その中で、乙和池をなぜ生粋の佐渡の人であるお父さんが、「気味悪ぃ場所だろ?」という魅力的な言葉で表現したのか、結論を出したかったが、結局さらに謎が膨らんだばかりだった。 さらに一年経ち、グループ展への参加が決まったあと、展示用ステイトメントのため、村上ゆずさんにオンラインインタビューしていただいた。この時の約一時間は私の中でも自分の作品を反芻する貴重な時間であり、この対話のあと映像編集を再度したことは書いておきたい。 この時まるでカウンセリングを受けるように、滅多に話さない様なことまで素直に話したのだったが..(アセンション・リバーのコンセプトについて話したとき村上さんに言われた、「まるでビョーキですね..。冷静に話せるのがすごいですね..笑」でハッとしたのだが、その後にそのフィードバック的な自己嫌悪もあったほど..、しかし私は話を、考える力がある人に整理しながら真摯に聞いてもらえ、また自分でも発見があって、とても嬉しかった。) 私がこの乙和池以前に不思議に思っていたのは、富士樹海の落ち着く様な美しさと富士山のもとというセントラル性を例にすればわかるように、自殺スポット、あるいは心霊スポットとスピリチュアルスポットがしばしば同じものとしてあげられていることだった。乙和池に関する噂は完全にこの三重である。それについてはガス・ヴァン・サントのSea of Treeが、世界的自殺の名所、樹海を「生まれ変わる場所」として、やや肯定的に取り上げていたが、そのほかにも、「自殺スポット自体には悪い念があるけれど、自殺者が飛び降りる前、歩む場所には、清浄な力がある」などという意見もネット上ではあるが散見できたし、「スピリチュアルスポットは行かない方がいい。他の人の念があるから」などという思想?も、よく見られる。それらの憶測、真偽不明の迷信は、パワーの増減とか引力レベルの少し物理的な?理屈もあり、生まれることを納得はできる。 結局は、「人間は、美しい場所、強い場所に、惹きつけられる」という、ただそれだけなのだろうが、そのような、人を滅ぼすような場所の意味の二重性に、その時は不思議さを感じていた。そして、そういった人間の心、または心が感じとるものを表す的確な言葉が「幽玄」なのだとも、「ヌーメン」なのだとも思った。思ったが、名を知りつつも、いまだにモヤモヤしてはいた。 ..だが実は、なぜだかこの2ヶ月くらいで、「能」大全上下、オットーの「聖なるもの」、渡辺和子先生のメソポタミアの生死観についての諸論文、前述したようなネット上の色々な、顔も名前も知らない人たちの深い体験と意見、そして佐渡を再訪し、さまざまなスポットをロケハンに訪れることで、また精神的な意味でも「偉い」先生たちとお会いしたことで、歴史的な規模で人間を捉えることができ、それは疑問を持つまでもなく、"当然のこと"になっていた。そしてもちろんこの間に、私はミニチュアではあるが、大きな乙和池の浮島を、山井隆介くんが実作を担ってくれることで、自分で作ることができた。 結局自分は考えることで納得するのではなく、感覚が蓄積することで何か理解に至る人間なのかもしれない。 また、前述した通り、池田先生にもその後、乙和池について質問して答えていただくことができた。 そういったわけで、乙和池を作る必要性については、ゆずさんがステイトメントに書いてくださった通り、自分の体験を、展示の前に立つ人に再現するためであるのが「一人称」というものの関連で一番大きいのだろう。(でもこれは、ゆずさんに言ってもらってから気づいた。) 最後に、御嶽(ウタキ)について調べた時、既に神聖な域である道中に、戦争中に落ちた爆弾の穴があるというのを知った。 例えば、乙和池がそのように爆撃されたらどうなるのだろう....?と考えてみる。 「密林の下を移動する人間たちがヘリから見えづらいから、森全体を枯らそう」と、枯葉剤を上から撒いたことが名高く思い起こされる。 そのような単純な考えと、科学が結びついた時の力は(ある意味)すごいし、 殺人と共に自然の大規模破壊が行われたことを知るときの惨たらしさも人間が遠くまで来てしまった感慨に打たれる。 そのように乙和池が滅びようとするとき、聖なる強い力によって、乙和池は守られるのだろうか?そして壊したものは、呪われたり、罰されるのだろうか? 乙和池は、伝承の中の大雨も根拠となり、水辺への信仰が根本にあるという記述も見かけた。結果的には「この水辺が消えてしまう」というそういうことに過ぎず、ただ存在している水辺が武力には相転移しないのは当然のことに思える。しかしこの池は、長い間に踏み固められた道のように明らかな聖性を湛えており、人間が享受できる方が不思議という感じも、私にはむしろするのであった。 |
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January 2024
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